2011年3月中旬(3/11~)

日記

日記や短文です。


↓日付は、 ブログのように、一番下(3/11)から始まります。
ごめんなさい、探してくださいね。



[2011年3月]


3月17日(木)

今日のヨガ教室は、中止に。

朝、ヘリコプターが原発に水を撒いているのを、映像で見る。
上空も放射能が高く、昨日はできなかったことだ。

人間だから、やっぱり、どんなにか、こわいことだろう。
「使命感で、やってくださっているのだ」と思うと、涙が出た。
いちばん近くで、ずっと作業に当たっている職員の方々も。
ただありがたく、感謝の気持ち。



なかしましほさんに教えてもらってから、
よく見ている、服部みれいさんのマーマーのブログに、

「福島の原発に対して愛をおくる、
と思ってから、
福島の原発に対してのみかたがほんとうにかわりました。」
とあった。(3/17)

みれいさんの知り合いの方が、
そういうことをされている、ことから、みたい。↓

「キネシオロジーの斎藤慶太さんが、
福島の原発に、とにかく愛を送っているという
メールをくださって、
ああ、しみじみと、なるほど、だなあ、と思いました。」
(3/16)

ごめんなさい、キネシオロジーというのを知らず、
抜粋だと、わかりにくいのかもしれないのですが。
みれいさんのブログにも、
毎日、心強いことや、新しい考え方が、たくさん書いてあります。


私も、福島に、感謝を飛ばしたい。
報道は、あまり見ないで。
プロの方ががんばってくれることに、おまかせするような気持ちで。





      ********





(昨日、扉に書いたことですが)
東京も少し冷えてきて、暖房を止めているので、重ね着を。
最初、セーターを重ね着しようかと思ったが、
ふと春のウールのコート(フェルトみたいで、裏地なし)が目に付き、
着てみたら、温かかったので、こっちに。
下が薄くなってはいけないので、分厚いスウエットパンツを重ねて。
厚着すると、ほんとに違いますね。

私も東京暮らしが長くて、つい、薄着がちでしたが、
私が子供の頃、田舎では普通にこんなでした。
いや、それ以上に重い「どてら」とか常に着て、
暖房の少ない、凍るような寒さをしのいでたので。
今、そういうことをやっていかないとな、と思います。

パソコンする時は、湯たんぽを足元に置き、膝から毛布をかけて。
(これは、いつもの冬通り)
スクワットやヨガを、朝いちや、休憩がてら。
くにぞうもやってます。




       **********




そして、今日の計画停電は、15:20~19時まで。
15:50という、もうぎりぎりの時間に、実行された!
が、昼だと、そんなにわからない。
パソコンが途中で落ちたりしないように、
事前によく時間を見て、立ち下げておいた。

そしてその間、何をしようかと思って…、自分の部屋の片づけ。
くにぞうもそれを見たのか、
年末か、その前から積み上がってた教材や、本棚など片づけてて、
夕方「見て!」と呼んで、誇らしそうにしていた。

「でも、実はこの積み上がったのが、
2、3時間あれば片づいてしまう、ということが、
バレないように、ちょっと遅く報告に行ったんよ」…だと(笑)。
とにかく、すっきりして、気持ちがいい。


計画停電中に、こういうことをすると、はかどるような気がする。
くにぞうは、「『計画片付け』と呼ぼう」と言っていた。
おすすめです。
掃除をすると、集中できて、心も落ち着くよう。
私も、だいぶまた雑誌などを処分できました。



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くにそうが、「計画片付け」中に、ラジオで聞いた話。
(「また聞き」なので、詳細は違うかも)

●大阪で、何かを買い占めをしたおじさんが、
「恥ずかしい。お金はいいから」と物を返しにきたそう。


●新潟、三条市の福祉センター?では、
以前の震災の経験を生かして、
300人が固い床ではなくて、マットレスを引いて眠れたり、
お風呂や、ガス、暖房を整備した施設があるそうで、
今、他県の被災者を受け入れているそうだった。
(※三条市のHPを見たら、もういっぱいで「受付終了」に)
こういう施設が、もっと将来できたら、と思う。

くにぞうは、その受け入れる三条市の責任者の人の、
「自分たちも経験したから、どうぞ、ゆっくり、あったかくしてください」
というような口調のやさしさに、涙ぐんだそう。

また他にも、もういろんな県で、
「空いている住宅を被災者に無料で提供」
という活動も始まっている、とテレビで見た。
考えてみると、もし住むところを移動できるのなら、
仮設住宅よりも、話が何倍も早いし、住みやすいだろう。





寝る前に、テレビでやっていた報道。(途中から見たので、場所はわからず)
●認知症の介護施設で、
以前から、真っ暗な中で「津波の訓練」をしていたところがあったそうだ。
それで今回も、
50人で100人のお年寄りを次々と2階にあげ、
津波到達5分前に完了し、犠牲者は0だったそう…。

そこでは今も、
自家発電用の灯油かガソリン?を節約しながら、(毎日、20時間は停電)
食料や物資を、みんなで、なんとか調達して、
避難所ではなく、そこで暮らされているそうだ。
施設長さんが、志のある、いい顔だった。

すべての切迫した地域へ、一刻も早く灯油やガソリンが、届きますよう。




       **********



お風呂から、寝る前まで、
明かりは、テーブルの上のライトだけに変更してみた。
停電を経験すると、これでも明るく思える。



まだ東京でも、弱いけど、余震がたびたび。
(この間の静岡のは、大きくて、こわかった…)
でも、だんだん、うすら恐ろしいのに、
慣れて、やりすごさざるをえないように。
人というのは、なんだか、すごい。


でもまだ用心して、
今、寝る時だけ、食器が入った台所の上の棚の扉を、
ガムテープで簡単に止めて寝てます。(こないだ思い付いて)
朝になったら、はがすので、あまり意味ないですが。
(片側だけはがして、またそれを再利用)
子供だましですけど、寝てる時、少し安心。

ほんとうは、こういう扉のストッパーも
以前、買っておこうと思ってたが、検討しきれてなかった。

今日は冷えこむらしいので、Tシャツとか、1枚多く着て寝る。






3月16日(水)


くにぞうの予備校は、今日は、授業中止になった。


くにぞうが朝、掃除機をかけてくれる。
私は電気のことが気になっていたのだけど、
でもせっかく自らかけてくれているのだし、と思って、
台所の用事をしていたが、
後で自分で、なぜか気づいたようで、
「電気を使っちゃたね…」と言いにきていた。

で、ずっと使ってない「しゅろ」のほうきがあるので、
(ほうきさん、ほんとうにごめんなさい…)
くにぞうに
「ありがとう。やってくれたね」とお礼を言ってから、
「今度、ほうきにしてみようか」と言ってみる。



今、節電関係の「意識の差」で、
家族内で言い争いが起きているかも、と思う。
「消さなきゃダメでしょ!」とか。
でも、みんなが不安でイライラしがちな時だから、
言い方には気をつけないといけないな、と思う。
せめて「消してね」と言うとか、
消してくれた時に、すかさず「えらいね」と言うとか、
実力行使で、どんどん消してしまう、とか。(これもケンカに…?)

でも、このことで話し合ったりすることも、
家族にとって悪いことではないと思うし、
将来の電気のためにも、絶対にいいことだと思う。



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テレビで見て、ちょっと感動した報道。
(録画してないので、全部見た記憶で書いてます…)

自分のところの灯油を、無料で配布している
ホームセンターの店長さんがいた。
「おひとり、10リットルまでで勘弁してください~」
「社長の許可取らずにやってるから、怒られちゃうかもしれないな」
と言いながら。


被災地で生まれた赤ちゃんを抱いたお母さんが、
「こんななかで生まれた子供だから、人の役に立つような人になってほしい」
というようなことを話されていた(泣)。

     ***********




昨日今日は、うちの地域は計画停電はなかったのだが、
今日は予定では、夜。

昼の分の防災アナウンスが、3ヶ所からほぼ同時に違うものが響いてきて、
(市の境目に住んでいるので)
全然聞きとれないです…。
昨日、駅に停電のグループ分けが貼ってあったのだが、
うちは、「何丁目の一部は3」「一部は4」と、まったくわからない…(笑)。
こないだパソコンで確認したものも、さらに違う可能性が出てきた。

で、きっと電話が殺到しているだろうからと、遠慮していたが、
ついに、市役所に電話して、
「たいへんなところ、すみませんが…」と聞いてみると、
すごくいい人が、すぐグループを教えてくれて、
(駅の張り紙は、少し前の情報だったよう)
市のホームページにも出ているということだった。

で、ホームページ見てみたら、6日先までのが、きっちり書いてあった。
ほっとする。



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今日の予定では、18:20~。
こういう時、18:20ちょうどに始まるのではなく、
18:20~18:50の間で、やってくるそうです。

なので、気疲れで昼寝していた、くにぞうをたたき起こして、
早めに夕飯の準備をしておくことにする。
一度、実験でロウソクも点灯してみる。
ロウソクによって、炎の大きさって違うんだなあ。
もったいないので、またすぐ消す。



いちおうコンロはガスなので、停電になっても使えるのだが、
真っ暗だと、ロウソクの小さい明かりでは、ほんとに見えなく、
料理が危険そうで。

18:10くらいまでに、料理もすべて揃えて、
念のため、ロウソクをすでに、ひとつ灯して、
手回しラジオも回して、
いざ、という感じでテーブルに座っておく。






で、18:45になってもこないので、
今日もないのかなあと思っていたら、バシッと落ちました。

おおおおーーー。

真っ暗。(当たり前)

ろうそくをひとつ、あらかじめ灯しておいて、正解だった。
完全な真っ暗闇だと、もっと慌てたと思う。

で、クリスマスで使い残したキャンドルなど、あと2つ足して、ご飯。
ラジオを聞きながら食べていたら、
しんみりして、なんだか不安が倍増してしまったので、
くにぞうのノートパソコンでDVDをかけてみることにする。
(電源外して、どこまで持つのかわからなかったが)

元気が出るようなものはないか、ということで
昔のドラマ「スタアの恋」(剛君と藤原紀香が出てる)にしてみる。
これ、明るい中に、感動があって、
この不安もすごく忘れて、集中して見れて、助かった気持ちだった。


ずっと報道ばかり見ていると、
情報を取ることは必要だと思うけど、ヘトヘトになったり、
私のように心配性の方は、不安が頭の先まで詰まってしまうので、
そうなると、本末転倒かもしれないと思う。

特に原発のことは、見ていると、不安になるばかりなので、
ほんとうに意識して、見続けないことにした。
キリのいいところで、今日あったことを見るとか。
でないと「これも失敗…」とかいうのを見続けると、
心身に悪影響がありそうで。

もっともっと、意識して、情報をシャットアウトされている方もいるよう。
そのほうが正しいのかもしれない、とも思う。
(もちろん現場の方は違いますが)

ともかく明るい、心が落ち着くようなものを見たりするの、
状況が許す方は、いいと思うのです。



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停電は、思ったより早く2時間で終わった。
これまた急につく。(当たり前)

それから、皿洗いなど。
しかし、被災地では、
あの真っ暗やみが、ずーーーっと続いて、
寒くて、必要なものがなくて、そして余震多数…となると、
その堪え難さは、ほんとうに想像を絶します。


計画停電は2、3時間後に回復するとわかっているから、
うちのようなところでは、
被災地のことを思えば、何でもない。
(でも商売をされていたり、たいへんな方も多いと思うが)

今日も祈りつつ、寝る。



3月15日(月)



確定申告に。くにぞうと。

昨日はまったく動いてなかった路線が、今日は少し動いているらしい。
バスに乗って、もっと確実に動いてるほうの電車で行こうか、
迷ったが、いちおう最寄り駅に行くと、
ちょうどホームに電車がすーっと入ってきて、びっくり。
でも後で確認すると、
今日は7割だか、比較的動いているようだった。

到着した大きな駅は、明かりが暗くなっていた。
でも、ぜんぜん大丈夫な感じ。
後で友達がメールで、
「暗い駅は、外国を思い出させますね」と言っていた。
そういえば、そうだ。いつもは、多少明るすぎるのかも。
これから将来、考えてもいいと思う。




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駅のロータリーに、
募金の方々が立っていらっしゃったので、わずかな募金を。
ここ数年、こういう街頭募金には、
ほんとに少しでもするようにしている。
立っていらっしゃる方を勇気づけたい、という気持ちや、
何か、その場の気運を高めたい、という気持ちで。

いつもと同じ時間に行ったら、
確定申告場は、ひょうしぬけするくらい、すいていた。
つつがなく終了。



それから、ネットで見て元々予定していた募金
(テレビ局経由で赤十字に行くもの)を銀行振込。
ATMに来るお客さんひとりひとりに、係の人が、丁寧に
「計画停電の予定があるので、
もし途中でなったら、操作が完了しない?こと、ご了承いただけますか」
と言っていた。無事送れました。





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帰りに、買い物。
エキュートで、暗い中、お総菜を売っていた。
コロッケとか、少し買う。
暗くても元気に販売している若者、がんばっている。

地元に戻ると、八百屋さんが普通に営業していて、
品物も潤沢にあり、全然混雑もしてなかったので、少し多めに買う。

スーパーを外から見ると、
すべてのレジが、ものすごい行列になっていたので、
もう寄らないで帰ってくる。
こないだ普通に少しくにぞうが買っていたし、
うちは比較的、日頃から、ストックの多い家なので大丈夫であろう。

でも、家族がいらっしゃる方、
食料の確保に、という気持ちは、ほんとに、わかる。
テレビで空っぽの棚とかを報道してしまうから、なおさら。
報道しておいて、
「落ち着いて」というのも、どうなのかなあと思う。



でも「我慢」は、
今の私たちの「支援」にあたるのでしょう。



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カワハラには、一度メールして無事を確認しただけだったので、
その後、どうですか?とメールすると、
下記のメールが返ってきた。(抜粋)


「こんなときこそ、力を合わせなきゃいけないけど、
自分をふくめて非常事態になると日頃の人間性って出てしまうね。

なにができるのか考えたら、節電くらいだったので、
今、早寝早起き週間で6時起床10時消灯。
暖房もいっさいやめて、重ね着と寒くなったらスクワット&腹筋&ウォーキング。

まさに自家発電だよ、かえって健康的。
重ね着も習得しててよかった。
幸い、さいきん暖かいしね。

待機電力も考えて必要最低限以外、コンセントもすべて抜いた。

できることがこのくらいしかない。」





感動…。
えらいなあ。

私も節電していたつもりだったが、
もっと真剣にコンセントを見て、さらにいらないやつとか、抜く。
最近はわりと温かいので、暖房はつけてない。
運動は、私も。あったかくなる。




ヨガをして、
ふっーーーーっと大きく息を吐くのも、気持ちが落ち着いていい。
ヨガの中の「スワイショウ」という動きも、
すごく不安な感じが落ち着く気がする。
(これは、気功の動きでもあるらしい)


2種類の「スワイショウ」の動画があったので、リンクしてみます。

体の周りで、「でんでんだいこ」のように、手をぷらんぷらん回してやる動き

↑体に手を当てる場所とか、いろいろ流派があるみたいですけど、
だいたい、こんなふうにやればいいと思う。

手を上から降りおろし、前後に振る動き

↑なぜか、横向きの動画だ…。
でも、だいたいこんな感じ。
膝は曲げたり、曲げなかったり(どちらもあり、みたい)。



今、いろいろな不安で、知らず知らずのうちに、
頭がパンパンになっていると思うから、
体をゆるめたほうがいいと思います。

今、このパソコンを見ている時に、首を後ろに倒すだけでも。
私は、よくぽかーんと口をあけて、しばらくこうしていたりします。

あと、ただ首を回したり。
首が固くなっていると思うから。

背中など「さすり合う」のも、落ち着くと思います。
自分で肩など、さすってもいいし。
「もむ」のもよいけど、
さすると、あったかく、ほっとした気持ちが増える気がします。

節電とともに、少し「リラックス」方面を。










3月14日(月)

計画停電は、昨日テレビで必死にメモったのだが、
自分のグループを間違えていたことが発覚!
が、同じ市が、いくつにも分かれてるなんて、思いもよらないので。
くにぞうがパソコンで見て、ようやくグループを把握し、
かまえていたが、朝から、のきなみ中止に。

夕方から、別の地域で実行されたと、報道で知る。
もともと被害を受けた茨木もその地域に入っていて、解せなかったが、
避難所の電気も落としてしまったらしい。
いったい…!


お昼前に、テレビから緊迫した津波警報が流れる!
各局、騒然となった。
結局大丈夫だったが、あの警報、どんなにこわかっただろうか。



      *********



夜。
ニュースで、津波で家族を失った人のインタビューを見て、涙が止まらなくなる。
握っていた手が離れて、流された、とか。
どうして、気丈にインタビューに答えていられるのか。
被災された方の心の強さに、打たれる。
大げさだけど、たぶん、これから一生、このことを思うくらいに。




計画停電初日で、電車がおびただしく運休し、
通勤の人は、恐ろしく何時間も並んでいた。
インタビューで
「ただ並ぶだけですから。
東北の人のことを考えたら、何でもない」
というようなことを、言っている男の人がいて、ちょっと、涙ぐんだ。





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ここ数日、
石井ゆかりさん
(私がいつも見てる「筋トレ」という占いのサイトを主催されている)、
友人のライターの、田中のり子さん
友人の中川ちえさん (「in-kyo」を営まれている)

のブログを見て、
いろんな角度から、いいことが書いてあるなあと思う。
感動する記事で、また泣いたり、くにぞうに見せたりした。

私も、何か役に立つことが書けるかなと
こうして書いているのも、その影響が大きいと思う。



            *****



特に石井さんは、役に立つような記事や、勇気づけられる記事を
積極的に集められているよう。すごいです。

その石井さんのサイト(一部しか見てないですが)の中に
リンクしてある記事で、特に感動したもの。(順不同)↓
(もう少し前なので、ご存知の記事も多いと思います)

「国連の潘事務総長の声明。 「日本は、今まで世界で助けを必要としている人達に対する最大の支援国をしてきた国の一つだ。国連は日本国民と共にある。今度は私達国連の番だ。我々は全力を尽くす。」

「CNNでもBCCでも絶賛されている。「有史以来最悪の地震が、世界で一番準備され訓練された国を襲った。犠牲は出たが他の国ではこんな正しい行動はとれないだろう。日本人は文化的に感情を抑制する力に優れている。」


↑これ以外の、他のニュースを見ても、
外国では、日本人のすごさに、目を見張っているようだ。
略奪が起こってなく、みな、粛々と事にあたっていることにも。
私は、「そう、それが日本人です」と胸をはって言いたくなる。






他には、

●「被災者の役に立ちたいと考えている優しい若者たちへ~僕の浅はかな経験談

●【地震】じいさん「また再建しましょう」(←YOU TUBEの動画です)

↑おじいちゃん。笑顔で、ほんとにすごいよ…(泣)。
その下のコメントも、みんな、熱い…。



●「家の非常袋を確認したら、父親が40年前に書いたメッセージが残ってた。私も新しい非常袋にメッセージを書こう。」

やはり、どんなにつらい、どん底の時でも、
むりやりでも、
「明るさ」が力をくれるのだろう。



これも、最初石井さんので、見たのだったか?↓
日本人が誰も出ていない、スペインのサッカーの試合で掲げられた横断幕



またツイッターでは、いろんな情報共有や、助け合いがあるようですね。
すごい時代だと思います。

しかし、インターネットも電気を使ってしまうものではあると思いますし、
何がいちばん正しいのか、わかりませんが、
人には、心への「勇気」も、必要だと思って。
載せてみました。










3月13日(日)

東京は穏やかな天気。
またニュースばかり見てしまう。
原発のことも、すごく不安。

午後。意を決して、コンビニにコピーを取りに行く。
(江里子さんの回顧展用のスケッチブックで、
打ち合わせ用に、今週宅急便で送り出すことになっていたため。
あとあとよく考えて、物流が混乱しているので、
宅急便を出すのは取りやめにした)



コンビニは、もう普通に営業していた。
あとで棚を見たら、電池はもうなかった。
単一がもう1セットほしかったが、あきらめ。

普段は「エネループ」という、充電用のを使っていて、
単3を「単1サイズの空の容器(エネループの市販品)」
にスポッとはめると使える、とお店の人に聞いていて、
その容器は、前から買ってあった。

で、昨日試したら、懐中電灯では使えたのだが、
ガスコンロの着火用では、なぜか使えなかったので。なぜだろう…。
まだ切れてはないから、よいのだけど。






夜、たまたまテレビで
仙台の「楽天イーグルス」の選手が、コメントしているのを見ることができた。
関係者は、幸いみな無事で、
今、たしかほとんどの選手は、遠征先の明石か、東京にいたはず。
(仙台のKスタは、被害がひどいことになっているらしい)

選手会長の嶋と、主将の鉄平がコメント。
鉄平は、
「まだ詳しく話し合ってはいないんですが、
やはり何か力になれたら、という思いで、全員いるのは確かです」
と言っていた。

その後、スポーツ関連のニュースをやっていて、
松坂がいる「ボストン レッドソックス」で、
スタジアム全体が、試合前に黙とうしているシーンや、
ドイツ、シャルケの内田の
ユニフォームに書かれたメッセージも見て、泣く。


寝る前に、急に計画停電のことが決まり、驚く。
日本で、こんな「緊急のお知らせ→実行」は、初めてでは。
自分のグループを必死に把握。
いったいどうなるんだろう。










3月12日(土)

被害が、徐々にあきらかになる。
こんな津波は、見た事がない。
打ちのめされる。

昨日から、ものすごく気になっていたのだが、
この映像を見て、逆に連絡を取りかねていた
実家が福島、宮城のお友達に、夕方、恐る恐るメールしてみる。
どちらも、とりあえず連絡がつき、
ご無事ということで、泣きそうにほっとしてしまった…。

またいろんな人のHPをのぞき、皆さんの無事がわかり、安心する。
それで私も、HPで無事ということだけ、発信してみる。









3月11日(金)


午後、くにぞうと居間でお茶を飲んでいたら、急に揺れ。
またいつものくらいかと思っていたら、じわじわと大きく、長く揺れ続ける。

最初、くにぞうに、
「あ、あそこのCD落ちそう!」と急いで床におろしてもらったりしていたが、
途中からまったく余裕がなく、
ふたりで畳の寝室へ。
手を取り合って、見守る。
いつまで続くのか!と思うくらいだった…。

(寝室には、ずっと前から、何も大きい家具を置かないようにしている。
阪神淡路大震災の時の教訓を、テレビで見てから。
寝ている時が、いちばん危険なので。
みなさま、寝室にタンス等がある方は、ぜひ移動するか、固定してください!)


いったん収まってから、急いでガスの元栓を止めにいったり。
(今は、揺れを感知したら、自動でガスの大元が止まるから、
その瞬間
無理やり危険をおかして、火の元に近づかなくていい、と昔テレビで見ました。
案の定、大元がとまってたので、
後でメーターのところに行って、ボタンを押して、3分待って、復旧。
最初は、すぐさまガスコンロをつけてみて、「あれ?出ない」とやっていたが、
よくメーターのところの説明を読むと、
3分待つ間に、ガス漏れがないか検知してるとのこと )




私の部屋でも、本が本棚からけっこう落ちていたが、
あとは大丈夫だった。
大急ぎで、また落ちそうなもの、陶器などを、床に置いてみる。







その後、何度も余震…。
こわかった。
そして酔いやすい私は、最後には船酔いのようになった。
が、横になると、余計に揺れを大きく感じて恐いので、
寝室にぺたんと座ったまま、テレビの報道を見る。

後でよく見ると、お茶がランチョンマットに大量にこぼれていた。
が、陶器などは奇跡的に何も割れなかった…。


それから、テレビから目が放せず。
くにぞうが家にいる時で、ほんとうに心強かった。
(3月は、予備校が比較的お休みなので)

私は、実は
あと数分したら、資料のコピーをコンビニに取りに出ていたはずで、
もう荷物のかばんを用意していたのだけど、
ちょっとだけ奇跡的だった。



      *******



そして今日は、たまたま
お味噌づくりの材料が自然食品店から届く日で、
もう今日はないだろうなと思っていたら、
まだ余震があった時間だったのに、届けてくださって、びっくり。
そちらのお店も、奇跡的にほとんど何も落下されなかったとのこと。




夕方。現地の信じられないような被害とともに、
「帰宅難民」というニュースを目の当たりにする。

でも都心や帰路で
会社を解放して、トイレなどを貸し出したり、
タクシーを同じ方面で乗り合いしたり、
いろんな温かいことがあったと、ネットやニュースで聞いた。
「バイクでよければ送りますよ」という人がいた、とも。
(ごめんなさい、どれをどこで見たり、聞いたか、忘れました…)

日本人は、みんなきちんと列をつくっていたり、
助け合う、
我慢して譲る、
という精神が発達していると思う。

それは、ほんとに誇らしいことだった。
日本人でよかったと思った。




          *******




少し落ち着いたので、
私がずっと以前から用意していた非常用(ほんとに最小限)の箱から、
物を出して点検してみる。

●手で回して発電するラジオ(昔ネットで購入)
(1、2分手でハンドルを回すと、60分ラジオが聞けるらしい。
今初めて開け、説明書を読み、やってみた。
回すのは苦でなく、すぐに聞けた。ラジオの入り具合は、いいのか…?
そしてこれ、懐中電灯にもなるのだった)
●ろうそく&マッチ
●室内用の靴
(阪神大震災の時に、ガラスが飛び散ると、室内を歩けないと聞いて)
●軍手や、保温アルミシートが入った非常用袋(新聞の勧誘でもらったもの)

あと別のところにしまってあるもの。
●普通の懐中電灯(いつも枕元の、時計の下の木箱に入れてある)
●簡易トイレの紙、数十枚?(昔ネットで買い、まだ開けてない)
(これも震災の教訓で、トイレがいちばん困ると聞いて)
●カセットコンロのガスボンベも、見てみたら、7本買い置きがあった。
(温かいものが、いちばん欲すると聞き、日頃使わないが常備していた)


ごめんなさい、
今こんなことを書かなくてもいいのかもしれないですけど、
物資が落ち着いた、ずーーーっと後になったら、
日頃から、準備しておくと安心ではないだろうか、
というものを書いてみました。
実際に使ってないので、はっきりと効果はわかりませんが。
(今は、何でも切迫した、必要な人が買うほうがいいと思います)







くにぞうは、
私がこれらを用意していることをまったく知らず、
(「押し入れの、あそこに非常用の入ってるから」とだけ伝えてあったので)
すごく感動してくれていた…。

後でも、何度も、
「全部みえぞうが準備してくれて、なんも考えてなかった…」と
言っていたので、
「『明るさ担当』大臣だから、いいでしょ」と言ってあげる。


今日の午後、ずっと真っ青だった私に、
わざと明るい、のんきなことを言ったり、
自分の実家からの安否確認の電話にも、
「だいぶ揺れましたなあ」とか、のんびり言っていて、
こういう人がいてくれて、私は、すごく救われた。
元来の性質とはいえ、
私も少し、こういうふうにできたらと思うくらいだった。
だからお互い、役割があって、これでよいのだと思う。





      ******


田舎からの友人の安否確認メールは、3時間後に届いて、
すぐ返信しようとしたが、なかなかつながらなかった。
兄弟には、その前にメールしておいた。


寝る時は、あまりに余震がこわかったので、
いちばん小さい電気を寝室でつけて、眠った。
また数回余震。
こわいが、でも被災地のこわさは、こんなものではあるまい。

少しでも多くの人が、助かりますようにと
神に祈りながら眠る。