きょうのことば

「今日のことば」










じぶんが
うれしいときは
どんなときだろう

かんがえてみる

それをふやす

わたしなら
みどりをいけるじかん


じぶんがこういうのを
そんなにすきだとは
おもってなかった

あたらしいことでも
やってみて
わかることもあるから

はじめてみたりして

りょうりとか
くつろぐじかんとか
こどもとあそぶとか
べんきょうとか
しらないまちのさんぽとか












(18.5.23)




あたらしいじぶんに
なろうとおもったひとは

けっかが
どうあろうと
すがすがしい

そのゆうきが
すがすがしい














(18.4.14)







しあわせは
おみせには
うっていないから
むずかしいけど

じぶんのなかをさがしたら
たぶん
ある

みんな
わたしには
ないとおもっているけど

でも
あるんだ

ちいさい
わたしだけのやつが











(16.6.26)









さんぽすると
ここにも
ここにも
ふつうの
ばんごはんが
あるのだ
とおもう

その
とうとさを
おもう

















(16.2.17)









じぶんにうそをついてはいけない

かなしかったら
なく

うれしかったら
わらう

きもちを
たいせつにあつかってあげる









(15.9.30)










おはよう
って言って

ありがとう
って言って

おやすみ
って言って

泣いたり笑ったりしながら

この短い一生を生きていく

そのかけがえのないこと









(15.6.22)













いまのじょうたいで
しあわせだなあと
おもえるひとは

きっと
なにか

もっと
いっぱんてきにみて
わるいじょうたいになっても
きっと
そうおもえるのだとおもう

そのなかの
ちいさいしあわせを
たからもののようにかかえて
ほほえんでいるのだろうとおもう


しあわせか
どうかは
じぶんがきめられる
かずすくないことのひとつ

ほかのだれかが
きめているのではない

だって
ほかのだれかがどうおもっていようと
あなたは
そのあたまのなかを
ほんとうには
しりようがないから
ただの妄想であるだけ


そして
しあわせそうにみえる
なんてことは
とても くうきょなこと


しあわせかどうかは
ただじぶんが
そうおもっていればいい



よく ひととくらべてしまう
わたしにも
それは
むずかしいことではあるが
むかしより
いま
げんきに
いきていて
まわりにはなしをできるひともいて
こうしてくらしていて
ふと
ああ
わたし
しあわせだなとおもえるときがある

そんなじぶんの
しんかをほめ
ただ
このじぶんとして
いきていく











(15.2.20)










かなってないものを
みつめすぎてはいないか

ずっと
そんなきもちのままでいきるのか

じぶんに問えば

そんなのいやだねえと
いった


もういいね

ぎゃくに
わすれようなんて
おもたく
けっしんすることはない

ただ
ずるずると
なにげなくでいいから
ふわあっと
たのしいほうにいこうね


そんなにじかんは
ありあまってはいないから

おいそぎぎみに








(14.12.24)







すごくがんばっているね

もう
それいじょうはいいよ

あなたは
そのままでいいんだよ










(14.10.5)












ときどきおもう

このでんしゃにのっているひとたちは
みんな
ちがうおいたちで
ちがうことをかんがえて
ひとつも
だれかとおなじではない
じんせいをおくるのだ

みんな
はてしなく
ちがうのだから
これがいっぱんてき
というがいねんに
しばられなくていい

いやいや
そうは言ってもね
とおもう

でも
ほんとうは
しばっているのは
じぶん

しあわせという
いっぱんてきな型に
はめこみたいのは
じぶん


だれも
そんなに
なんとも
おもってない











(14.8.15)











きずは
じぶんで
浅くも深くもできる


おちこまないと
かわれないとするならば

さあ
おちこもう
ではないか










(14.5.20)










あたらしいところにいって

あたらしいじぶんにもなれるんだとおもう

できない
できない
というおもいこみをふわっとながし

ちょろりとやってみることだ


そして
ほかのひとと
じぶんがちがっていても

すかさず
たんじゅんに
おちこんだりしないこと


わたしは
こんなかんじのやくわりで
けっこういいんじゃないかとおもうこと

それは
じぶんを
たいせつにしてあげている
ということなのだから


すこし
どりょく

そして
すこし
これでいいとおもうこと

そのばらんすで
やっていく











(14.4.17)








いそがしくしているほうが
かんがえすぎないで
いいのかもしれない

いきるのにせいいっぱい
というのは
そういういみで
しあわせのひとつなのではないか

まいにちを
あわただしく
ごちゃごちゃと
いきている

この
みえにくい
しあわせというもの











(14.3.19)








ひつようとされている

それは
ほんとうに
うれしいこと


だれもが
だれかにとって
ひつようなひとだ


きづいてないかもしれないけど

ずっと
いわないかもしれないけど










(13.12.25)








あー

つかれた

ていうひとは

がんばったひと










(13.11.24)








いま

このときだけに

できること











(13.10.23)









かんがえることより

すこしかんがえて
うごいてみることのほうが

すすむ


そして
たぶん
おうえんされる

みえないちからに












(13.10.6)







きのうできなかったことも
きょう
できることがある

きぼう











(13.9.16)













わたしも
いつか
このじんせいをおえて
たびにでるときがくるのだから

とおいかもしれないし
いつなのかは
わからないけど

だから
そのひまで

ただ
おもいのこすことなく
やろう









(13.9.1)










たのしいことを
かんがえている
じかんは
すごく
たのしいということ

それは
まぎれもないじじつ


そんなたのしいことばっかりかんがえてられないよ
っていうひとは
いっしょう
そうおもって生きる

なにを
おもって
生きるのかは

じぶんが
ぜんぶ
ぜんぶ
自由にきめられるのに









(13.8.4)









かんがえすぎって
たぶんいいことじゃない

なやむひとは
かんがえすぎるくせがあるのを
じかくしたほうがいい

かんがえて
この世のすべてが解決するのなら
とことんかんがえるけど
そうではないから

ほどほどにして
なりゆきにまかせ
しんてんをうけとめる

そうして
あたまばかりをつかれさせないで
からだとともに
ゆっくり生きていこう

そとにさんぽにでもいってみよう

それか
いえのなかをきれいにしてみよう

きもちがいいよ









(13.7.14)











こころをしずかに

ただそれだけ









(13.6.22)







なんだか
ふあんになったとき
じぶんのことを
ほめてくれた人の言葉を
おもいだすのはどうだろう

たとえば
わたしなら
ずっとずっといぜんの
母の言葉

「あんたは、ええ子なんじゃけ」

しんらいできる人がいうのだから
それは
ほんとなんだとおもって
そのまま
うけとっていきる









(13.6.5)






じぶんに いったい
なんの価値があるのだろう?

そうおもうときもあるけど

ひとは

いきているだけで
いいのだって


ただ
いっしょうけんめい
いきているだけでいい

そうしたら
たぶんしらないうちに
だれかのやくにたっている


だれにも
そう言ってもらえないかもしれないけど
それはしんじつ

だから
泣いたりしなくていいんだよ









(13.5.13)




ゆるぎないものなど
なにもなく

かっこたるものも
なにもない

かんぺきをもとめても
どこまでも
ふかんぜんである
わたし

だから
ふかんぜんであるままで

いきをすったりはいたり
がんばってはたらいたり
あんしんしてねむったり
だれかのこえをきいて
わらったり
すればいいのだ

ただそうやって
ふわふわといきていくだけだ

それができるひとが
しあわせだ









(13.3.17)











はるになろうとしている

はるになるんだな

わたしが停滞していても
わたしがかなしんでいても
よろこんでいても
はるになっていく


ならば
ただ
はるをうれしくおもって
すごしたほうがいい











(13.2.24)











さむく、くらいよるに
ポストにゆうびんをだしにいって
かえって
玄関のほうから
リビングのテーブルあたりをみたら
ごちゃごちゃしたものがおいてあって
なんだか
とつぜん
しあわせだった

ここがわたしのいえだ

いっしょに暮らしてくれるひともいる

あたたかいいえだ











(13.1.26)











ことしはこうしよう

もくひょうをたてたり

ちがう自分になろうとしている

かんがえてみると
そういう
にんげんって
かわいいなあ

わたしもそのひとりで
けっこうがんばっている


もくひょうは

きもちのいい
きげんのいいじかんを
ふやすこと
かな










(13.1.20)










ことしいちねん
ありがとう

って

じぶんに
だれかに

いってみる

ほんとうの
こころをこめて











(12.12.23)








やりたいことがみつからない
ひとがたくさんいるそうだ

やってみなければ
やりたいことが
ほんとうにそれなのか
わからないのに

それに
どんぴしゃで
さいしょから
やりたいことにめぐりあうってことも
ないんじゃないかと思う

なんでもいいから
なにか動くうちに
細い道をみつける

それが
自分の楽しい道になるのか感じる

これではないと思ったら
また道を変えるだけ

ただ考えているだけでは
何十年も同じ








(12.12.16)







ゆうきが
わたしにはあるのかな

あるならば

つかおう








(12.12.9)











ただ
しずんでいるときがあってもいい

ひとって
そういうものなのかもしれない

もうちょっとしたら
げんきになるね

にわかづくりの
きゅうごしらえの
げんきだと
はりぼてのように
中がくうどうだからね

ちょっとやすんで
中をかいふくさせるので
おまちください
わたし








(12.12.2)









だれかに
たすけてと言ってみよう

思い悩んでることを
相談してみよう

たすけてくれるよ

なにも状況はかわらなくても

それでも
荷物を
はんぶん
持ってもらったような
気持ちになれるから









(12.11.25)









よーくかんがえたら
どんなことのなかにも
感謝する点があるのだとおもう

おちついて
よく思い起こしてみて

誰かがごはんをつくってくれ
働いたことで、生きていけ
笑い合う友達がいる

太陽の光を受け
明日も普通に起き上がることができ
今まで無事であった

よかった








(12.11.18)






かなしいことがある

うれしいことがある

どっちかばっかりじゃない

それは
どんなひとでも


かなしいことがあっても
また
うれしいことが
くるんだ


こうたいこうたいで
そのどちらかがきたら

ただあじわって
かみしめて
この人生をいきる








(12.11.11)















でも
やる気もないし
だらだらしちゃうときもある

それもなにか
意味があるらしい


またいつか
やる気は
必ずやってくるので

だから
まあ
たまにはそれもいいよ









(12.11.4)





とことん
くじけてしまったなあ

というときは

じつは
つぎの変化への
ボーナスチャンスなのだ

じゃないと
かわろうとか
思わないから


ボーナスチャンス
もらったね









(12.10.28)







なにかをすると
なにかはできない

時間というもの

だから
なにをして
なにをしないかは
自分できめる









(12.10.21)












せんたくものが
うんざりするほどたくさんある
あらいものがたくさんある

でもそれは
わたしや
わたしのたいせつな人が生きているという証拠

ありがとう

たからもの









(12.10.14)








だいじょうぶ
すべては

だって20年前にも、10年前にも
すごく心配してたことはあったはず

でも
今こうして
どうにかなっている


何を心配していたかさえ、思い出せないのだ


だから
心配は
へらしたほうがたのしい

すごく心配しようが
すこし心配しようが
まったく心配しなくても

すべては
どうにかなるのだ








(12.10.7)















ゆっくりいけばいい

あせっている心は
結局のところ
あまり役には立たない

それどころか
足をひっぱる可能性がおおきい

晴れやかな心で
ひとつずつ
たのしんでやるほうが
結局
まわりまわって
いい運をもたらすんだと思う








(12.9.30)














今日はどんな日だったんだろう

私は幸せだったんだろうか

たぶん
たしか
そうだった

一生のなかで
記憶にも残らない
ちっぽけな一日だとしても








(12.9.28)