絵本

                       部屋              部屋  エッセイのような、 小説のような、詩のような、 バラバラに読んでも、続いて読んでも、 というものです。 自分と、自分と同じような女の人に、 読んでほしいと思って書きました。     昨日、電車にのってたら、永田町で赤いランドセルをせおった小学校2年生くらいの女の子が乗ってきたの。ひとつ席があいてて、そこにランドセルのまま座って、で、窓からホームにいる友達にちょっと手をふるんだよね。その手のふり方が、都会の小学生って感じで、なんかいいの。さびしげで、かったるそうで。  それで発車するころ、手に持ってたカンのふでばこをパカッと開けて、中のマジックを揃えはじめたの。なにかきまりがあるのかわからないけど、ずうっと揃えてるんだよ。  それで、ふっと見ると隣のちょっとはげたおじさんが、じっとその女の子のふでばこを見てるの。普通のサラリーマンって感じで、眼鏡かけてて、ずんぐりむっくりで。でも、その子のお父さんみたいに、ずっとなにげなく斜め前に体をかたむけてて、女の子の手元を見てるわけ。女の子はそのサラリーマンが見てるの全然気付かないのか、気にしてないのか、ずっとマジックを揃えてるの。  そのうち、急に女の子が立ち上がったから、サラリーマンも急に違う所を見てるふりとかしたんだけど、その女の子はまったく自分の世界にいて、何にも気付いてないのね。で、今度はランドセルを電車の席の上に机みたいに置いて、自分はその前に立って、中の何かを探し始めたの。  ランドセルの中身がちょうど向かいに座ってる私にはよく見えて、ドリルとかノートとか、ランドセルの中身なんて私も久々に見たから、ドキッとした。女の子はずっと自分ちの机みたいにそこで捜し物してて、またサラリーマンはずっとその子の捜し物を、今度はあんまり体を傾けないようにして、でもずうっと見てた。  まったく他人なのに、そのふたりの間にはなんかがあるんだよね。離婚したから、もう日曜日にしか会えない父と子供の間のような、昔好きだった女の子と街ですれちがって、振り向いたんだけど、ただそのまま後ろ姿を見てる男の人のような。それで、そしたら、もう私が降りる駅が来てしまって、降りるのがなんとなくさびしかった。そのあと、どうしたかなぁ、って思って。何もあるわけないんだけどね。サラリーマンは会社にもどって、今日の残りの仕事をして。女の子は家に帰って、ゲームなんかをして、明日の日課をランドセルに詰めたりして、ね。  都会って、こんなだからすごい。まったく知らない人が、ものすごく、すごく近くにいるのね。それって、どういうことなんだろう。いったい。いいとか、わるいとか。べつにそういうことじゃなくて。その意味っていうか。それで、あの女の子も、サラリーマンもずっとそうして生きてて、死んでいくんだから、電車の中も、とても大事で。いや、そんなんじゃなくて。そこにあるひとつのかたまりのようなもの。   だれか、わかる?  起きたら、今日はすごく、天気のいい日だった。土曜日が晴れてるといいよねぇ、やっぱり。風もふいていて、あー、洗濯しよう、と思った。で、ふんふんして、せんたっきにシーツとか入れてから足元を見ると、洗剤がない。 で、洗剤買いにいくのに、Tシャツの上にみどりのチェックのくたくたのシャツを着て、自転車に乗ったら、ほんとうにすごく気分よくて、最高だー、とか思って、ぶんぶん自転車乗ってたの。  ついでに前からこわれてたブレーキを直してもらいに自転車屋さんに行く。私のいきつけの自転車屋さんはとてもプロで、おじさんとおじいさんとふたりでやってるんだけど、ふたりともあんまり必要以外のことはしゃべんなくて、ただガンガンいつも働いている。  今回も「ブレーキがきれちゃったんです」というと、「ここをぜんぶ取り替えることになりますが」というので、それはすごく正しいという感じがして、「はい」と正統派の答えを返しました。自分がなるべく、このおじさんにつりあうように。このおじさんに、恥ずかしくないように。  それで、そこで待ってると、おじさんは(今日はおじいさんは、忙しくないからか店の奥にいるみたい)どんどんブレーキをはずして、新しいのをつけて、もうペンチとかドライバーとかは、使い終わった瞬間にぼんぼん床に落とすので、ドンとか、カキーンとかいう音もたくさんするのだけど、おじさんは全然気にしない。  で、最後に車輪をくるっと回して、ちょっと考えて、いろいろなところの曲がりも直してくれて、うおー、かっこいいー、と思ってると、自転車を入り口まで持ってきてくれて「900円です」と言われた。(これしか言わない)で、千円札を出すと、おじさんは向こうの、小さいテレビの下にあるレジからまっ黒い手で百円持ってきてくれて、自分の手がさわらないように渡してくれた。なんだか、すごくうれしかった。そのブレーキのよく効く自転車で洗剤を買いにいった。            夜。今はテレビがついてなくて、私にしてはめずらしく、とても静かだ。こうすりゃこうで、すごくいいことは知っていながら、いつもできない。テレビがないと、時間はいつもの(そうだなあ)4倍くらいのわりで、ゆっくりすすんでくれるような気がする。でも、すこしこわい。  何が。しーん、としていることも、そうだし。ひとりであることと、向き合うこともそうだし。すごくなさけない感じ。でも、なさけなくてもいいよね。そんなにちゃんとした、強い人間でなくてもいい。そんなでもちゃんと私なんだし、それを見捨ててしまったら、もう誰も他にめんどうみてくれる人間もいないんだし。  こうなったら、すごくすごーくなさけなくなって、よれよれになってやるう、とか、思ったりして。      みんなは、だいじょうぶなのかな。 他の人は。 大人は。      おいしいフランスパンを、そのままかみしめて食べる。がんがんがん。大人っぽい。おいしいフランスパンを牛乳につけて食べる。しゅわしゅわ。子供っぽい。(でもおいしい)       おなかがいっぱいになって、何も考えられなくなって、うとうとして。30分くらいしてからベッドの上で、はっと起きる時の、夢と自分の境目はどういうふうになってるんだろう。目を開けるとおしまいなのか、夢のしっぽは、いったいどこにしまい込まれるのか。なんか、胃の上のほうにしゅーっと入っていくような気がしたよ、今日。            今日、青い雨がふりました。 青い雲から。 人々は、抗議の電話をかけました。 厚生省とかに。 でも、日曜日で 休日出勤のおじさんは ひとりだったので、 こわくて電話には出ませんでした。 5時になったら、 湯のみをかたずけて、家に帰りました。            夜中の十二時半頃。公衆電話がなっていた。道路のわきで。私はそこをちょうど自転車で通って、そのりーん、りーん、りーん、りーん、という音を聞いた。あの電話を、取ってみればよかった。       会社から部屋に夜遅く帰ってくる。マンションのドアは最後にドシン、と重く閉まる。中から鍵をガチャ、とはねあげる。郵便受けから夕刊を取り出す。カキンと金属の音がする。隣の部屋に行って、重い荷物をドサと、おとす。TV、オン。           昔、インドに行った時ね、砂漠をらくだに乗って歩く1泊2日のツアーがあって、急にそれに申し込んだんです。そしたら、私ひとりしかいなくて、でもまあ、いっか、とある日ジープでホテルの人と出発した。ある地点までいくと、インド人のおじいさんとらくだが、灌木の下でぽつんと待ってて、そこで私はらくだに生まれて初めて乗った。(だいたい普通みんな初めてだ)  らくだって意外に足が長くて、最初は折りたたみ椅子みたいに足を収納してくれてるからすぐ座れるけど、立ち上がる時がすごい。もうおじいさんが「ロープをちゃんと持て」ってジェスチャーで言ってくれてなかったら、振り落とされてた。まずぐおーんと前に傾いて、それから後ろにがおーん、と。スターウォーズに出てくる足の長い怪獣ロボットみたい。ぎゃー!そして、ぎゃー!でした。  でもらくだの背中は、すごく地上から高い。空に近くて気持ちいい。空は日本のじゃなくてインドの。青くて、青くて、青くて。ぱきっと晴れてる。  おじいさんは、頭にオレンジ色のターバンを巻いてて、長い白いひげ。昔は白かったらしい半袖シャツと、だぶだぶの布ズボンをはいている。そうとう年とってるのか、インドのおじいさんはみんなこんななのか。けっこうおじいさんだがかっこいい。何かの修行僧のような感じ。私が大丈夫なのを確認すると、「チュクックウキュ」てな感じの謎の合図をらくだに送り、手綱を持って出発させる。  ずうっと、長い時間。ただ長い時間。らくだに乗った私とおじいさんは歩く。音のない世界。動物も虫もいなくて、サボテンや乾いた木以外は何にもない。太陽は照っていて私たちは歩く。  お昼になると、やっとらくだから降りる。ちょっとお尻がいたい。灌木の下でおじいさんは、ごはんをつくってくれる。金色のつぼみたいななべでサブジー(薄いカレー味のおかず)を煮てる間に、粉をこねて小さな丸い鉄板の上でチャパティ(平らな具なしお好み焼きみたいなインドのパン)を焼く。手でひっくりかえすんだよね。熱くないのかなぁ、と思うんだけど、もう何十年もやってる感じ。それが何枚かたまったところで、手で渡してくれる。おいしい。  それからまた午後をずっとらくだと歩いて、今日の宿泊地へ。このへんはけっこう砂が多くて、映画で見る砂漠みたい。太陽が夕焼けを残して沈み始め、おじいさんはまた、焚き火して夕ごはんの準備。私はしばらくそのへんをぶらぶらする。  ごはんの時、ちょっとカタコトでしゃべる。でもおじいさんは英語がほとんどわかんないくて、年とか聞くとちょっと考えてから、「210歳」なんて答えちゃうのです。「私は、2015年働いている」とかね。なんで私が笑ってるのか、わからなかったみたい。そしてはっと気付くと、空が星だった。どこから、どこまでも。地平の端からこっちの端まで、びっしりと。胃がぐわーっとした。思わず立ち上がって、見た。  私の田舎はけっこう星がきれいで、東京にきたらがっかりしたんだけど、その田舎の空はまだクリアじゃなかったのだろう。空ってほんとうはこんな姿をしてたんだ。と思うと、なんか生まれて初めて空に会ったような気がした。  頭を思い切り後ろに倒して、ぐるっと一周回ってみた。どこまでも星、星、星。おじいさんはただ焚き火のそばに座って、回ったりする私を見てた。私はその時間にしばらくすいこまれていた。  インドは昼はものすごく暑いのに、夜は信じられないくらい寒い。冬みたい。で、おじいさんがらくだの荷を解きはじめた時、もしかしてそうかなー、とうすうす思ったとおり、やっぱりテントなんてものはなくて、夜具だけ。砂漠の上におふとんをぺろっと敷いて寝るんです、これが。しかも悲しくなるほど薄いせんべい布団。  セーターもナイロン・ジャケットも全部着て布団にもぐっても、あんまりにも寒くて、おじいさんに「もう1枚ないの」と言うと、自分の分をくれるから「じゃあ、いい、いい」って言ったんだけど。でもどうしてもかけてくれるから、それに甘えて寝ました。星は、氷のようにそこにある。  明け方はっと目をさますと、もう星は消えていて、みず色にうす黄色のまじった夜明けの果てしなさが、ひろく、ひろく、向こうの国のほうまでつながっていた。   あの星を、もう一度見たいと思っている。       ピアノの曲。ピアノの1個1個の音。音が部屋の中にあふれてくる。昔、友達が好きだったCDを、会社の人がたまたま机の上に持ってて、貸してくれた。なつかし。私はクラシックはほとんど知らないんだけど、でも、これはいいってわかる。音楽をつくった人に感謝したい。音楽が部屋にあふれてくる。            中学校の時に、担任の先生のシャツの襟がかたっぽ中に入ってて、「先生、襟がこっちおれてるよ」って私が言ったら「言う前に青木が直してくれたら嬉しかったのにな」って、冗談ぽく言った。  いい先生で、私はすごく、よく言い当てられた。一番よく覚えてるのは、こう言われたことだ。「青木は自分がこう言うと、相手がどう思うかな、って考えてから、ものを言うだろう。それは、いいことだけど、あんまりよくないよ」先生、今でもそのことが、私あんまりうまくありません。でも、少しは、変わったのよ。            起きたら、いったい今日は、なんだっけ。と思うことはないですか。静かな日の光の中でいろいろ考えると、今日はどう考えても日曜日のはずだ、と思ってほっとする。かすかに。       また土曜日。このごろ花を1本だけ買うのが好きで、今日も花屋さんに買い物の帰りに見にいく。ずーっと見ても買うのは1本なのでちょっと恥ずかしいが、でもこの花屋さんもけっこうさびれた場所にあるので、一日に何本売れてるのかはさだかではない。まったく売れない日もあるんじゃあないか、とも思うので、まあ1本でもいいでしょう。  眼鏡をかけたやや若いような、そうでもないようなお兄さんは、一応立ち上がって「いらっしゃいませ」と、狭い店内で私のほうを見守っている。あんまり迷っていると、「贈り物ですか」などと言われるので、急いで「いえいえ」などと言わなくてはならない。  その日は黄色いガーベラを1本買った。150円。「そのままでいいです」と言って、買い物のビニール袋を右手に、ガーベラの花を左手に家に帰る。ガーベラはけっこう茎が長くて、なんか「わらしべ長者」(昔、小学校で読んだ)みたいだが、けっこう気分がよい。夜道に花をかざして帰る。  家に帰ってコップに水を入れ、ちゃんと水切りをして本棚の中に飾ってみた。植物ってどんなかっこいいモデルよりも、すーっと立つことができるんだね。黄色がそこに存在している。  月曜日。いきなり週のアタマに残業して、会社から夜の2時頃帰ってきた。本棚のところにガーベラ、咲いていた。  ああ。150円でこれだけ幸せになれるなんて、どういうこと。怒るよ、もう。       自分のやってることが、うまいなぁと思ってるうちは、まだそれはだめで、ほんとうにへたでどうしようもないなぁ、と思ってがっかりしたら、そのへんから始まるような気がしてる。何もかも。       私って、ほんとに、よくいろいろくだらないことを考えるやつ。            キウィを買ってきて食べようと思ったら、まだかたかったので、冷蔵庫に入れずに部屋で熟させていた。だいぶたってから、もういいかな、と思って皮をむいてひと口食べたらくさってた。ただ部屋にきて、しんじゃったキウィにわるく思う。でも、私のことも考えてくれ。            結婚したら。結婚したら、何か変わるのだろうか。結婚しても、やっぱりひとりで生きるということに変わりはない。主婦もベランダで、ためいきをつくことがあるのだという。そのベランダに、いくのか。           それが とても たいせつな ことでも 私にとっては、 何の意味もない      それが とても つまらない ことでも 私にとっては とても にぎりしめておきたいような 大切なこと            このあいだすごく仕事で悩んでいた。もう私には絶対できない、と思って、なんでこんなに才能がないんだろう、って。みんな他の人がやればいい、と思ってるはずだ。私より知識もセンスもあるし。いくらやっても、本当にできないんだから。  あー、今までなにやってきたんだろ、と絶望的な気持ちでやや遅い朝、駅のホームにいた。いつも電車にのる、その場所はホームの端っこで、やや日があたっている。やってこない電車をずっと待ってると風が吹いてきた。そちらをみると向こうの山の緑が見えた。ずっと私は風にふかれていて、あぁ、いい風吹いてくるなぁ、と思ってた。  目の前の山は日のあたる中、さわさわ揺れている。      しばらく、 さあー、 さあー、 さあー と、風がわたってくる。      ただ、気持ち良く、 風は私にむかって吹いてくる。      そしたら、急に涙が出そうになって、 お父さん、 今日はこんなに最悪の日だけど、 それでも、 こんなに風がふいてきて、 みどりがあって、 こんなに気持ちのいい日です、 こんなに絶望的でも、 とにかく今日はいい日です、 と父に報告した。 父は、今、空にいる。      私は、部屋の外で、少しがんばる。 ためいきをつく。 そして、またあごをぐっとあげてみる。          にんげんは ひとにいわれたりしたことで かわったりするから ふしぎだと おもいます  新聞屋のお兄さんが、新聞代を集めにきた。あの、小さい穴からのぞく、っていうシステムはほとんど無意味だと思う。だって、見ただけであぶない人、とか、わかるわけないじゃん。チェーンをつけてたって、たとえば小包みですって言われれば、はずさないわけにはいかなくて、そしたらまるで同じ。その前にチェーンごしにピストルで撃たれれば、もう終りなわけで、やっぱりあぶないのはあぶない。  家にくる新聞屋さんのお兄さんは、とても謙虚で、良さそうなお兄さんで、一度20円まけてくれたこともある人だが、その人さえも信じることができない、っていうことは、いったいこの世はどういうことだろう。       さっき干しておいた洗濯物が、風に吹かれてもう乾いている。もうすぐ夏だからね。            このあいだ本屋さんに行って、ぶらぶら本をながめてたら、私の持ってる本があった。それはもう5年くらい前に出た本で、しかも読もうとしたけど、なんかむずかしいというか、よくわからない本で、最初の2ページくらいしか読まなかった本だ。  でも潜在意識の中で、きっと持ってることがかっこいいというような、いわゆる外国の哲学っぽい、不条理っぽい、せつないっぽい文学。  来週ここに持ってきて、すっとこの隣に帰しておこうかと思う。            誰もが、自分よりもっと何かで悩んでいればいい、と思うことがある。他人の不幸の話を聞きたいのは、そのためだ。ワイドショーがあるのもそのためだ。そのすきにどうにか、自分がしあわせにすべりこみたい、と思ってるんです。            今日は雨です。ずうっと降ってる。雨の日は家にずっといるのが楽しい。食べるものがなくても、なんとか冷蔵庫の中をごそごそ探したりして、ぜったいに外に買い物に行かない。それでこんなことなら昨日あのチーズ蒸しパン買っとくんだった、とか、ジュースも、あー、どうしてもヨーグルトソーダが飲みたい、とか妙に思ったりして。台風じゃないんだから、ちょっとコンビニまで行きゃあいいのに、意地になってる自分がおもしろい。  これに通じるのは、かぜで休んだ時あんまり食べるものがなくて、熱っぽいのに無理して何か買い出しに行くときだ。いろんな場合を想定して、もしかしたらこれも食べたくなるかもしれないなんて、いろいろ変なものまで買い込む。それで4、5人かぜになっても大丈夫なくらいの重い食料をかかえて、部屋に帰る。結局なにも食べないで眠ったりして。すーすー。            一昨日買ってきたオレンジ色の百合の花が、今見たら開いているのでびっくりした。花は水をすって、私が何もしてない間も、生きている。            電車で、私はよく大口をあけて寝ている。あそこに毒物を入れられたら、死んでしまう。       昔、ある雑誌である外国の俳優が「ひとりでいることと孤独とはちがう」と言っていた。そのことがずっとわからなくて、ずっと考えていた。今、少し、わかった。これは、誰にも教えたり、教えられたりすることはできないような気がする。            会社のガードマンの人とか、ビルの中の掃除をするビルメンとよばれる人は、かなり年の人が多い。きっとどこかの会社を引退して、ここにきたのだろう。でもひとりひとり違う。きびしい人もいれば、疲れてる人もいる。冗談を言う人や、なんとなくやってる人、無理にはりきってる人もいる。  それを見ていると、ここまでくるとその性格は、もう直せないな、と思う。どういうふうに生きてきたか、暮らしてきたか、なんか丸見えのような気がする。自分はあのくらいになったら、どんなふうに働くんだろう。自然に前を見て、楽しくいられるだろうか。難しいね、たぶん、すごく。      私は、ずっと部屋にいる。 そして、考えている。            どうやったら、いったい、ひとりの人を一生すきでいられるんだろう。よくわからない。でも、いつか考えなくても、そうしていたりして。だったらいい。            以前中国の、ある小さな田舎町に行った時、そこにある小さなドミトリーに私は泊まった。同室のひとりのお兄さんは長い金髪のノルウェー人で、私がやってきた時は、ベッドの上一面に青い布を広げて、それをみつめていた。私はたずねた。 「なにしてるんですか」 「ベストをつくろうと思ってるんだ」 「ベスト…」 「うん」 「なんで、また、ベスト…」 「天気が悪いし、何かすることが必要だ」 「…それは、ただしい」 「そうおもう?」 「うん…」  ノルウェー氏は、ヘビメタみたいに髪が長いんだけど、すごく美形で、なんで中国のこんな小さな町の小さな宿でうん、うん、うなってベストをつくってるのか全然わからない。  次の日私は、寒いけど自転車を借りて、ぶらぶらする。あんまり寒いので帽子を買う。ロシア人がかぶるみたいな厚い毛織物の帽子。折り返しの部分を下に下げると、完全にプロレスのマスク状態。目のところだけ、ひとすじ切れ目が入っていて、そうやって自転車に乗るとあったかいんだけど、凶悪犯と間違えられて、中国の警察につかまりそうなのでやめました。  その帽子かぶって、ずーっと田舎町のはじっこまで行って、とある集落に突っ込んだりした。ちょっと通行人のふりすればいいか、と思ったんだけど、やっぱり全然だめで、自転車をおして入っていくと、みんなこっちを見てて、やっぱり困ってすぐ出てきた。  でも、中のことはよく見えた。夕飯のしたくをする煙がのぼってて、背中に赤ん坊をひもでしばった小さい女の子が、野菜を井戸のところで洗ったりしていた。お母さんが何かの入ったざるを抱えて家に入っていく。子供たちはにわとりや、犬がいる庭を、ひもみたいなものを持って走り回っている。ちょっとうらやましくなった。一家で食べる普通の夕ごはん。  田んぼのあぜ道を引き返すと、ぬかるみにはまって、あーあ、というぐらい、けっこう自転車泥だらけにしてしまった。ひとりで照れ笑いしながら、またばんばんこいで町に引き返す。神様、こんな世界のすみっこでも、今は夕ごはんの時間です。いいでしょう。  ドミトリーに帰ると、ノルウェー氏のベストは、けっこう大真剣なところに入っていて、紙にかいた型紙らしきものを持って、ベッドの回りをぐるぐるしてる。 「おかえり」 「どうなったの」 「巻き尺をつくって、体を計って、型紙つくって、これからこっちの布に写すところ。けっこうすすんだでしょ」 「巻き尺…、つくった?」 「十センチの物差しがあったから、それから、写した」 「うつした…」 「あしたが、かんじんだ」 「がんばって…ね」 「うん」  そして、今日買った帽子を「見て見て」と見せると、すごい気にいってくれて「これかぶって寝ると、きっとあったかいよ」と言ってくれた。そう、ここは安くていいんだけど、凍りつくように寒いのだ。  次の日、私は山に登る。中国の山水画に出てくるような山が、田んぼの中にぼっこぼこ、いっぱい出てる。不思議な景色。ふつう山って裾野があるじゃない。でもないの。まったく唐突に山が始まる。すごくへんだ。子供のかいた絵みたい。でもそれが現に目の前にそびえてるんだから、さすがこれも中国4000年の歴史。  上に登るとほんとうに気持ちいい。小さい田んぼが区切られてるのが見えて、そのあちこちに『ぼこぼこ』山が、ひゅうっとのびている。  絵をかいている外人のお姉さんがいて、2人の中国人が景色を眺めている。風が気持ちいい。私はつくづくどこか気持ちいいところで、ぼーっとするのが好きなんだなぁと思う。いつまでいても全然あきない。  そのうち向こうの『ぼこぼこ』山の間が煙ってきて、おお、中国。かすかに夕焼けも混じって、永遠みたいになった。そこから雲をわたって、どこかにいけそうだった。       ドミトリーに帰ると、ノルウェー氏はまさに布を裁断してるところでした。 「あー!」 「どうしたの!」 「ちいさかったー!ばかー!」 「え?」 「ばか!ばか!」 「ごはん…、食べてくるね」  ノルウェー氏は、とてもがっかりしていました。次の日、私はそこを立ったのだけど、あのベストがどうなったのか、今も気になっています。            今、食べているアップルパイの生地が、いつもよりちょっと塩辛いことに気付いた。生地はやや辛いほうがおいしいけど、これはだいぶ塩辛い。もう何度も買ったことのあるコンビニのアップルパイ。どうしたんだろう。誰か入れる塩の量を間違えたのだろうか。工場の機械の塩の目盛りのところを、誰か見直したほうがいいんじゃないか。           人が楽しいと思うことを 私はよく 悲しいと思うようだ      このごろ 楽しさの中に かなしさが すごく つよく 私のほうに やってくる もとおなじひとつの体だったかのように            国会図書館に行った。学生のころ、よく行っていた。それはまじめだからではなくて、英語のクラブに入っていて、そこでディスカッションする政治的な調べ物をしなければならなかったから。  6年ぶりくらいの国会図書館は、相変わらず整然としている。今では入る時に1枚の磁気カードを渡され、それで本を借りる。スーパーのレジにあるみたいな機械で、ピッとカードの番号が記録されるのだ。三十分くらい待って、借りたい本がエレベーターで下に降りてくると、マイクで名前が呼ばれる。館内のいろんな場所にあるテレビの画面にも、磁気カードの番号が表示される。  ピッ。428番。  もし428番の人が、入り口から遠く離れた、1970年代の図書カードのある場所に静かに立っていたとしても、428番の人はその不似合いなエレクトロニクスから、自分の本が地上に降りてきたことを知ることができる。  今日、椅子に座って本を待つ間に、まだこの図書館に入ってから、一度も呼び出されていない本のことを、なぜか思った。ここには日本で発行されたほとんどの本があるらしい。でも呼び出されてエレベーターで降りていく本は、全体からみればきっとすごく少ないんじゃないだろうか。ずっと書庫の中で読まれることを待っている本。一度も誰にも呼ばれなくて、処分されたり、場所を移されたりする本。その願いがつまった部屋に、私は入りたくはない。     人間って、自分の思ってることがすべてできるわけじゃないよね。でもそうだけど、思ってることをやらないと、しんでしまうから、やってるだけ。       さっきのアップルパイのふくろに「万一製品に不都合な点がございましたら、現品を当社、消費者相談室までお送りください。郵送料当社負担でお取換えさせていただきます」とかいてある。  塩味についての意見というのは、どうなのだろうか。  もう食べてしまった場合は、どうなのだろうか。            青木さん、と街でよばれるとびっくりする。私はたいていぼおっとしてるから、まるで物が見えてなくて、たいてい昔あった人と間近ですれ違っても気がつかない。  振り向いてみると、昔の会社の先輩の男の人だった。すこしかわっていて、すこしかわっていなかった。私がやっては失敗して、またやって、どうにか生きてきた時間のあいだ、その人にもなんらかの時間があったのだ。ちょっとずつ何かがかわったふたりが会うのはいい。  しばらく立ち話をして別れた。昔会った人って、初めて会う人と違って、私のことを知ってくれているので、やさしい感じがする。                 猫になりたい、と思うこともあるが、猫には猫で思うところがあるだろう。  「猫なんてのは、昼寝したり、伸びをしたり、顔を洗ったり、何か食べたり、散歩したり、そういうことを、神様みたいにただやるだけ。あんたみたいに悩んだり、向上したり、負けたり、イライラしたりしてると、それは猫じゃなくて、そう、ねえ、何か別の…。まだ、どちらかというと犬のほうが初心者には簡単ですよ。だから、まあ、まだ、ちょっと猫はね。無理無理」  はー、それもそうですね。            さっきのアップルパイのふくろ(まだ持ってる)にかいてあること。 名称:パイ 内容量:1個 原材料名:りんごジャム、小麦粉、油脂、卵、乳製品、食塩、乳化剤、酸味料、香料、カロチノイド色素、酸化防止剤(V・E)、増粘多糖類 やっぱり、食塩は入っている。心配だ。 添加物も、心配だ。 でも、もうたべてしまった。           私は、ずっと部屋にいる。       つらい恋のことはまだ書けない。ただ時間のことは知っている。友達でも、仕事でも、趣味でも、心理カウンセラーでも、お酒でもなく、(旅行はちょっといいかも)時間だけが、その思い出をうすくしてくれるのを、やっと、もう知っているから。(こんなことだけが、大人になってよかったと思えることかも)それだけをたよりにして生きている。       ひとりで暮らしていると、トイレのドアは閉めない。はしたない。が、閉めるのもばからしい。実際、ひとりで、閉めて、あけて、ってしていると。洋式でただ椅子に座ってるから、トイレって感じがあんまりしないんじゃないかと思う。お風呂と一緒になってるから、そのことも大きいと思う。  とにかく孤独な部屋の中で、もうひとつ小さな箱に入って、わざわざ、さらにひとりになることはないでしょう。       さっきオレンジ色の百合の花の回りを掃除してたら、コップを倒してしまった。で、あー、いつかやると思った、とタオルで畳をふいてたら、その間にサッカーのロングシュートを見逃してしまった。  その後、今日はとりあえずこのへんに置いとけばいいか、と、なにげにコップを置いたら、また倒してしまって、畳へのしみこみを防ぐために、今、小さい棚なんかを動かしていて、ちょっとした引っ越し前状態です。ライトがいつもと違う位置にあるので、別の部屋のよう。でもこう考えると、自分の部屋って、いつもいつも、安心するくらい同じなんだね。  今度こそ大事をとって、細いコップの回りにもうひとつ、金色のふちがついた大きいコップを重ねました。これでかっこわるいけど安定。今、机にのっけた。私の右ななめ前で静かに咲いている。花粉が、血がかたまった色のように濃くて「遺伝子なんです、私は」という意志が見える。いや、ごめん、ごめん、ほんと。こんな人に買われて災難だったね。            ひとりで街を歩くと、ふたりで歩いている人に目がいく。以前はなんだか、負けたような気がしていた。ふたりのほうが幸福の権利や、喫茶店に入る権利や、映画を見る権利をみんな持ってるような気がした。だけど今は女の子ふたりで来て、中華のテーブルでカップルの相席になっても、にこにこしていられる。きおくれしない。もう、知ってしまったから。 そのこわれやすく、たいへんなものを、ふたりでかかえてる微妙なバランスを。 だから、がんばってね。 今は、私はひとりでいたい。       私は、もらいものと拾いものが好きだ。部屋の中にもそういうものが多い。文庫本にぴったりの小さい棚は、前の会社からもらってきた。その横にある電気スタンドは落ちてたのを拾った。  前の会社の人がもうよく知ってて「あ、青木、よさそうなの落ちてるぞ」って教えてくれる。昼ごはんの帰りにそのゴミ捨て場で、2メートルくらいのシンプルな電気スタンドを囲んで「こりゃー、いいよ」「もったいないよー」とか話し合ったりして。みんな一応かっこいい広告デザインの職場で働いてるのに、変な人たちだった。(そこからほんとに持って帰るやつ。しかも電車で。)  クーラーは、取引先の人が捨てるっていうから、ケーキ1個で運んでもらった。いまだに窓につける型で、つけるとブォーン!という巨大な音がする。  一度学習机みたいな木の机を拾ったこともあって、その時は、ちょっと遠いゴミ捨て場だったので、まず中の引き出しを何回かに分けて自転車で運んでおいて、それからいざ本体を、よいこらしょっと関取のように抱え上げて歩くんだけど(しかも真夜中)、重くて、大きくて、せいぜい十メートルくらいしか持てない。  それで休み休み二十分くらいか、最後階段上るのなんて、今思うとよく落ちて死ななかったなぁ、と思うくらい。なにがあそこまでさせたのか、全然わからない。本当に貧乏性の悲しさということだろう。その机は結局今のところに引っ越す時、私が清掃局へ電話して、『連絡済み』の紙を張り、かなたの島に運ばれていった。  冷蔵庫はそのアパートで、よく朝から麻雀の音で、じゃらじゃらと隣部屋の私を起こしてくれたおじさんにもらった。おじさんは引っ越しするらしく、その冷蔵庫は『連絡済み』の張り紙と一緒に、アパートの前に出してあった。古いけど2ドアの大きいやつ。銭湯の帰りにしげしげとみてたら、おじさんが通りかかったので、思い切って「これもう使えないんですか」って聞いてみた。  おじさんは「まだ使えるよ、運んでやろっか」って言って、たぶんその麻雀仲間の人とふたりで、また重いのをうんせうんせ、と狭い階段を上って運んでくれたのだ。お礼を言ってドアを閉めてから、あー、すごいいい人だなあ、と思って、ぱっと冷蔵庫の扉をあけたら、中からかき氷にかける黄色のレモンシロップが、たらーっと出てきた。  え、っと思って中を見ると、使い終わった割り箸やら、さば缶のあいたの、カップラーメンのカラとかも入ってて、最初思考回路が止まるほどびっくりした。  けどしばらくしたら、もう笑いそうになっちゃって「おじさん知ってるはずなんだから、下で出してくればいいじゃないかー」と思いつつ、もうしょうがないからがんがん掃除して、次の日曜日に黒のペンキ塗ったら、けっこういい冷蔵庫になった。 今も私の家にいる。 あのおじさん、かき氷のレモンが好きだったんだろうか。        台所に来て皿を洗う。このごろ皿洗いはひとつから、と決め、絶対にためないようにしている。仕事が忙しいと、けっこうシンクの中にたまっちゃって、ほんとうに後でいやなことになってしまうのさ。  やっぱり主婦の人はこれ、たいへんだよね。一日三回、そして一週間で二十一回。1月で九十回、もしも二十年だったら。しかも4人分とか、大量に。  そのシンクからは、女の人のなんかがすーっと排水口に流れていく感じがする。誰も気がつかないのだけど、くるくると下水に吸いこまれ、明るいさようならを言ってる。  で、私ですが、ほんとにためて汚くなることにいやけがさして標語をつくりました。『すぐ洗え。その一皿が命取り。』       時々、窓から全部ものを捨ててしまって、何にもない部屋に住んだら、どれだけ気持ちがいいだろう、と思う。            人間はすべて片思いだ。ふたりともお互いに好きだとしても、その両方がおんなじくらいに思ってるということはなくて、どっちかの愛の分量のほうが、絶対どっちかより上なのである。いつも。さびしいけど。  そのことに気付くと、ほんとの片思いで相手が何も知らないほうが、さびしいってことはない。私の思いのほうがいつも、いつも上なのだから。それなのに人間って、どうしてつらいほうにつらいほうにいっちゃうのかなぁ。私も。            前の会社の四十八才くらい男の人が、酔っぱらった時に「青木、人生ってのは、思い出だぞ」と言っていた。私はその時、思い出なんていやだと思った。でも今頃になって、その人が言いたかったこともわかる気がするのだ。  何もなかったよりは、修羅場でもあったほうが楽しい。七十四くらいになった時に。       この夜のニュースを見ないと遅れてしまうような気がする。スポーツニュースも見たい気がする。世間のことをいろいろ知っておかなきゃいけないような気がする。脅迫観念。だから女は、と思われるよりは、いろんな問題に口をつっこめたほうが楽しいから。そしてニュースを見てると、時間を無駄にしてるっていう気がちょっと休まるから。ほんとは、ただの時間がこわいだけ。            今、外で急ブレーキの音が聞こえた。 悲鳴のような。 ぶつかった音はしなかった。 また、夜は、回転していく。 私と同じように、ひとり部屋の中で、 この音を聞いていた人がいるだろう。            えー、風呂は、血行をうながすのでいいんですよ。みなさん、シャワーだけなんて、だめですよ。さあ、風呂はいろっと。            そんなにいい女ではないし、あせってる。いろんなことに対して。でもそういうふうに思われたくない。いつになったら、楽になれるんだろう。考え過ぎるのはよくない。とりあえず、寝よう。ざばぁっ。            こんなことを書いて いったいなんに なるのか。            本の好きな人に「青木って、どんな本でも最後まで読むでしょ」と言われて「うん」と言った。「どうして」と聞かれて、「え、いや、だってせっかく買ったんだし…」とか言うと、「途中でやめなさい」とその人は言った。「もし、つまんない本だったら俺は捨てちゃうよ。次の本買う」  少し目からうろこが落ちた。  私は、本が読めなかった。  本って、読まなきゃいけないような気がしてた。それも最後まで。買ったからには。これもたぶん貧乏性で。だから、本が読みたい気持ちはあるのに、なにか重い石みたいだった。その人の言葉を聞いてから、とても楽になった。本、途中でやめていいんだ。  自分で本をどんどんきらいにしてたみたい。自分にとても大切な、何度も読みたい本なんて、一生に少ししかないんだから。そうじゃない本は捨てていい。でもその大切な本に会うためには、たくさん探さないとダメみたいだけど。私はまだ初心者だから。すこしずつ。  思えば好きな本は、読みたくて、読みたくてしょうがない。あー、おもしろい。ドキドキする。お父さん、私、本がこんなにたのしい、って知らなかった。すっごくばかみたい。怒った時に、すーっと気を静めてくれる本にも出会えた。(この怒りのことを考えると、いつも「若草物語」のおかあさんのことを思い出してしまう。部屋を黙って出ていくこと。「私も、すぐ怒らなくなるまでに、この年までかかった」という話。)  電車で「あ、もうちょっとなのに」と思って、改札まで歩きながら読んだ本もあった。あと長い一生の中で、きっとたくさんの本が私をすくってくれるだろう。      自分は天才だ、と思うこと。 自分は何にもできないのだ、とわかること。どちらも、謙虚に、受け止めたい。          私って、説教臭いのね、自分に対しても。       夜。台所。冷蔵庫の音を聞く。明日、朝がきたら、会社にいくのだ。でも今は、夜なのだし、けっこう心地いい。           自分の中身を見せること。 できない。できない。            机のところに来たら、オレンジ色の百合の、たったひとつ咲いていた花が、ばっさり落ちていた。花びらが、ふたつに割れていた。あまりにも、あっさりと、それは行ってしまった。落ちたおしべの花粉は、まだ遺伝子の誇りを失っていない。            酔っぱらっている。 うれしい。 何もしたくなくて、へらへらしている。  友達のところで、ひさびさに飲んで、電車で帰ってきた。もうすこしで、乗りすごすとこだったけど、うまいぐあいに目をさまして、自転車でふらふら夜道を帰ってきた。 最後の道を曲がるとき、音がした。 溝の中を下水が流れている。 それは、それで、いい。       きっとあの人なら、このくらい喜んでくれるだろう、とか、このことについて思い切り話そうと、急いで約束の場所に走っていって、こうこうこうだったの、と話したら意外にそっけない返事がかえってきた。これ、まったくわかってくれない人に話すよりはるかにさびしい。  自分と似てる人から拒絶されるのって、それは約束違反だよ、っていいたくなる。でも人間って、どんなに似てると思っても違うんだよね。最後の最後の細部で。       出掛けようとしたら、雨が降りそうだったから、長い傘を自転車の前のカゴに逆さにつっこんで、家の前の小さい階段を降りた。そしたら段差で自転車がぼんっとはずんだ瞬間、傘がぐるっと回ってきて、左目の下にあたった。  けっこう、痛かった。頬骨にズンッときた。傘でこれだけ痛いんだから、人に殴られたらもっと痛いんだろうなぁ。精神も。            現代は周到に準備されたものがとても敬遠されがちだ。偶然や、軽いものが、のびのびと世間をわたっていく。みんな、一生懸命努力された、せつない嘘を見たくないのかも。それを直視する勇気がまったくないのかも。            人がなぜ酒を飲むのかわかる気がする。なにも考えなくても、ふわふわしていられるから。忘れようなんて、思わなくても全然だいじょうぶだから。           あ、眠い。寝よう。            朝。すこし曇ってるけど、夏が近いことを思わせる、やや暑い日。カーテンのうすい影にかくれて、 オレンジジュースを飲む。            オレンジ色の百合の蕾が、たしかに少し大きくなった。一昨日、ちゃんと水切りをしてあげたからね。その中の一番大きい蕾が、きれいな緑色のうえに、うすいオレンジをおびてきている。またきっと私のいない時に、すっと咲こうとしているのだろう。あと蕾は7つある。            街を歩いていると、ガラスにむかって「あ、こんにちは」と言ってる人がいた。四十才くらいの会社の部長さんみたいな人。中の喫茶店にだれか知り合いがいるらしいのだ。で、そのあとも動作をまじえながら「元気でやってる?」とはっきり大きい声で言っていた。まるで聞こえないのに。私は「元気でやってます!」と答えてあげたくなった。           夜は、夜のきぶんになり、 昼は、昼のきぶんになるね。 おかしいけど。            くらい、くらい夕闇をたのしむ。友達の家で。そのひとは「日がのぼって、日がさして、日がしずむ」ということを楽しみたいんだよ、と言う。その人は絵をかいている。  初夏の夕暮れのような闇がやってきた。だんだん、友達の顔もみえなくなる。運ばれてきたおいしい料理も、日本酒をつぐ手元も見えない。「どのくらい入ってるのか、ぜんぜん見えないね」と笑いながら、日本酒をこぼしたりする。  昔行ったタイの山奥の村を思い出す。電気はきてなかった。夕ごはんをたべる時、ちょうどこのくらいの暗さだった。でも、あまり暗くないのだ。人間がいるから。  村の子供達はごはんがすんで、月明かりの中でかくれんぼを始める。私の泊めてもらった小高い丘の上の家から見ると、うす青い水の上を、銀色の魚が走りまわっているように見えた。  ここ東京でも、くれていく夕闇は楽しめる。友達の家の西向きの木枠の窓から、南の窓のほうへ風がぬけていく。窓のところの木の棚にある野バラの鉢植えに、アブラムシがついていて、それをどうやって退治したらいいのか、という話になる。教育テレビではこういってたよ、とある友達がいう。そのうち、1本のろうそくをつけた。小鰺の南蛮漬けを食べ、手作りのくずもちをいただいた。たくさん飲んで、たくさん笑った。           部屋にかえってきた。 私の部屋のにおいがする。      『インドのうた』      インドでひいた かぜひいた ドロップなめて ヴィックス買って チャタジー先生にみてもらった      インドでひいた かぜひいた ずーっとねてて ちょっとおきて リクシャーの音をきいている      インドでひいた かぜひいた テレビみたくて なんにもなくて 天井のせんぷうきながめてる       これはインドでかぜをひいた時に、ベッドで私がつくった歌である。チャタジー先生のおかげで、かぜは直り、また私は旅を続けた。           しあわせが なんなのか しってる ひとがいたら おしえてほしいよ            友達と旅行に行った。帰ってきて、それじゃね、と言って山手線に乗り換えた。もうほとんど終電近く。入ってくる向こうの電車を見ると、ほとんどの人は肩をななめに席にもたれて、体がずりおちて眠っている。たぶん車内はとても静かなはずだ。 ふと、電車は細長い、細長い布団のようなものかも、と思った。それも銭湯が細くなったような。誰も知らない人の隣で、誰も知らない人がぐっすり安心して眠っている。  その電車はここ、大崎止まりだった。乗ってた人はみんなホームに降りて、寝起きの子供みたいな顔で次の電車を待つ。車掌さんが中を点検して、寝てる人が追い出されると、プシューッという音がして、ドアは閉まる。電車はゆっくり車庫に入っていく。さよなら、夜の布団。            自転車置き場で、私の自転車の後ろタイヤは、パンクしていた。誰かが空気を抜いたのか、空気を入れすぎたのか。意外にその事実を淡々と受けとめている自分に驚く。歩いて家まで帰る。自分の足音が、聞こえる。右を見ると、暗闇にあじさいが青白く咲いていた。       郵便ポストに、東京電力からのお知らせと日経新聞の申し込み書と、極秘ビデオのチラシと、公団住宅の抽選代行のハガキが入っていた。部屋の鍵をあけようとして、それらぜんぶをドアの前のコンクリートの床におとしてしまった。ぱらぱらぱら。ぺたっとコンクリートにちらばって、それらは悲しくなった。一瞬、考えて、一枚ずつ拾う。            また、部屋に帰ってきた。  オレンジ色の百合の花は、台所で静寂している。やっぱりだめだった。もう蕾のまま残りの3個がかれかかっている。窓を開けると、夜の中で、風が部屋に流れ込んでくる。よどんだ空気をほうきではくようだ。また部屋に帰ってきた。           さっき、冷蔵庫の上の電子レンジを使おうとして、その前にあったトレイを片手で動かしたら、ばらばらぁっと、上にのっけてあったものが落ちてしまった。バナナとか、金属のざるとか。  で、ひろってると、甘夏3個がちゃっかりと椅子の上にのってて、1個も落ちてないのだ。うまいでしょう、とでも言ってそうなそのやつらを、まったく、と思いながら、金属のざるにつっこんでやった。      私は むずかしいことが きらいで、 それがきらいでも 生きていけるって わかった       この間、あんまり目がいたくて、友達に教えてもらった古い眼科に行った。入ると、うわー、今はいったい、どの時代なのおー、大正時代?というふう。白いしっくい壁に、ぶ厚い生地のカーテン。(ちゃんとタックがとってある)受付けも、古い診療所のすり硝子がはまってそうなやつを、うす黄色のペンキで塗った感じ。  台の上には小さなチャンネル式のテレビがあって、その前には、金属のカチャカチャと上下に向きをかえて日付をだす(だいぶ前にはやったでしょう)カレンダーが、磨いてきちんと置いてある。初診用の紙はクッキーの缶の中だ。  口をあんぐりしてると、そのカーテンの向こうから、品のよさそうな、小さいおばさんの看護婦さんがでてきて「どうなさったんですか」と聞く。 「あの、疲れ目がひどくて…」と言うと、「じゃあ、こちらに名前と電話を書いてください」と、フランスクッキーの缶から紙を出す。それからしばらくそこの白い、洗濯された綿のカバーがかかった椅子で待つ。(そのカバーにもやっぱりタックが入ってる)  ふと上を見ると、その受付け部分の仕切り板の上に、あまりにも唐突に古いクーラーがにょきっと取り付けられている。ええっ!と目を疑ったが、どうみてもその旧式のクーラーは、分厚い体で板の上に強引にくっついたまま宙に浮いている。後ろには支えもなにもない。熱風の行方が絶対的に知りたい。地震対策も知りたい。  待合室の、よく言えばアールデコといった感じの低い丸テーブルの上には、雑誌がのってたので、手にとってみると『世界の旅ジャーナル』という本だった。それがよく見ると、20冊くらい全部その本だった。私がとったのは7月号で「東欧を行く旅特集」。表紙は昭和三十年代のような感じの、東欧の人達のにっこり写真。中も全部皇室アルバム的な色味の、いつ撮ったのかわからないような古い写真がたくさん載っている。  あ、古い雑誌なんだ、と改めて気づく。ずうううっと何十年も、この待合室にはこの雑誌だけがおいてあるのだろうか。この雑誌って、いったいどこで発行していて、だれが買ってるんだろう。(ここの人が買ってるよね、こんなに熱心に。)うーん。  それから次に「青木さん」と名前を呼ばれて、視力検査をした。その椅子はかちかちの事務椅子みたいな固さで、でもまわりの緑色や青色の瓶の薬が入れてある棚とか、器具の置いてある木の机とか、すごくアンティークでかっこいい。  黄色の陽射しが窓から映画のシーンのように差し込んでいる。その静かな空間で、椅子に座って視力検査をした。  「はい、じゃあ、左目を隠してください」と別のやや太ったおばさんの看護婦さんが言う。例の懐かしい『黒いおさじ』みたいなものはなくて、手で隠す。  「へ、り、と、に…」昔からこのひらがなの語彙は、かわってないなぁと思う。小学校のころを思い出す。みんな、よく目のいい子に教わって暗記してた。  そして「はい、じゃあ反対の目」と言われて、右目を隠すと「あ!」と言ってしまった。全然見えない。「どうしました」と言われて、「あ、すいません、強く押さえすぎてしまって」と言うと、おばさんは少し笑って「あ、じゃあ、少し待ちましょうか」と言われた。  そのおばさんの看護婦さんと陽射しの中、しばらく待った。そして「あ、もう大丈夫です」といって、残りの検査をしてもらった。  いよいよ診察。名前を呼ばれたので先生を探したら、その陽射しの差す部屋じゃなく、奥の1メートル四方くらいの暗い小部屋に、診察の大きい器具と一緒に先生はすぽっとはまっていた。閉所愛好性? やせた、おじいさんの先生。  「あのう、肩凝りで、パソコンもやってるせいか、なんかすごく疲れるんです」と私が言うと、先生はおもむろに言いました。「あのね、私はいろんな人に言ってるんだけどね、朝来てから、お昼までの間に一回休憩とったほうがいいですよ。ほら、あそこのビルの人なんかね、こうやって体操してる。(手をラジオ体操のように上げる動作付き)そいでね、お昼と夕方の間にももう一度休憩してね、お菓子でも買ってきて」  はあ。休憩。なにやらすごい病院に来てしまったらしい。そ、そうですねえ、と思いつつ、診察してもらう。  「あー、パソコンねえ、あれはいけないですねえ。それで、また家かえってね、刺繍でもしたら、よけい疲れちゃう。ねえ」  刺繍! 先生の時代はきっとそうだったのだろうが。刺繍なんかしないよお!と笑いそうに強く思ったが、言えなかった。  それからカルテに、独り言とは思えないほど大きな声で「目があけていられない!」とつぶやきながら、すこぶる美しい字で書く。  「じゃあ目薬と、目の回りの血行をよくする飲み薬をね、あげましょう。これはね、いい薬なんですよ。ドイツのね、カリクレン(?)っていう薬なんだけどね、私なんかはボケ防止で飲んでますよ。ふおっほっほ。頭にもよくきくからね、また後でいいようだったらあげますよ」 もう、カリクレンだかなんだか知らないが、このころにはもう何を言われてもおかしくて、ふるえながら「はい」とか小さく答えてた。先生、長生きしてね。また、目が疲れたら、来るからね。刺繍もしないからね。            夜、帰る時。電車の中で、向かいに座ってる女の人のふくらはぎに長さ3センチくらいの、楕円形の黒いあざがあった。その人は水色の、水玉の膝までのスカートで眠っていた。足はきれいだ。これからもそのきれいな足で、かっこよく、さっそうと街を歩いてほしいな、と強く願う。            ときどき不整脈になる。トトトトッと心臓が打つ。生命線が短いから、これで死ぬのかもしれない。交通事故とどっちで死ぬんだろう。でも、そのトトトッとすることで、心臓がちゃんと動いてることを感じる。しかもなにか、運命の知らせのようにも感じる。            帰り道、若い男のサラリーマンの人が6メートルくらい先を歩いていたんだけど、急に道の左のほうに寄っていった。門の鉄ごうしから鼻のさきだけ出して、いつもどよーんと横になってる大きな茶色の犬のところ。その若い男の人は、しゃがんでアタッシュケースをそばにおいて、そのおとなしい犬の頭をなでたりしていた。犬はただ黙ってなでられている。  私は通りすぎた。きっとあの男の人は、この後、角のコンビニに寄るだろう。そこしかないから。弁当とジュースかなんかを買って部屋に帰り、テレビを見ながら、弁当を食べ、ビールでも飲んで寝ちゃうだろう。時にテレビは砂嵐になって、うす明るい朝の部屋に白く光るだろう。            ウーロン茶を、冷蔵庫から出して、コップにつぐ。しばらくして、あれ、ウーロン茶どこにおいたかな、と見回すと、台所のまな板のうえに、ひとりでいた。コップの下半分だけ、細かく白い水滴が、霧のようについていて、待っていた。            私、もし、間違いでなければ、少し大人になった。こう思えたのは、はじめてだ。よかった。いろんなことがあって。ほんとう。なにがあったかは、言えないけど。            夜は、昔から、静かだったんだ。狩猟時代から、1993年も、未来も。            人に何かを話す。その問題が解決しなくても、話すだけでらくになるということのメカニズムは、いったいどうなっているのだろう。  自分の手じゃなくて、誰かほかの人の手が体にふれるとらくになるということも。肩とか、指圧とか、手をにぎってもらうだけでも、それはそう。            日曜日に外にいたら、足と手だけ真っ赤にやけてしまった。おふろの前に鏡にうつると、とてもへんだ。次の日、台所にある椅子にすわって、くるうっと回転して、キッチンの端っこに両足のっけてみてもやっぱりへんだ。赤い足から、たのしかった時間が思い出される。            帰り道、自転車で角を曲がる時に、暗い道のわきに、体格のいい男の人が倒れていた。最初気付かないで、ひょっとわきを見たら、ガードレールのすぐそばに、あおむけになってまっすぐに寝ていた。ぎくっとした。たぶん酔っぱらって寝てるんだろう、と思う。でもあんなにまっすぐになってるなんて、なぜだろう。  もしかするとだれも気づかなくて、気づいても私みたいに通り過ぎて、自分で真夜中にぱちっと目をさますかもしれない。そうしたら、まったくあおむけになって寝てるから、酔った目には、空の星が見えるだろう。今日星が出てるといいんだけど。星におじさんが気づくといいんだけど。            誰でも、殻を自分の回りにもっている。その殻が固ければ固いほど、中にいる自分はやわらかくなる。そういうことは、よくわかる。自分もそうだから。殻はとっかえられない。中から、すこしずつ直す。            その人のことをなんですきになったのか、理由がちゃんといえるようなら、その人、なんだかつまんない人だね。なんでだかわかんないけど、どうしてもすきだ、ってほうがいいよね。       会社で少し疲れて、窓の外を見る。目の疲れをとるために、外のみどりを見るって、とても健全で、すばらしいかんじだ。(先生!休憩してます!)やってみるといいよ、みんなも。            部屋で、ミネラルウォーターの栓をカキッと開ける。冷たい水をコップから飲む。ごくごくごく。こうして、みんなが水を買うようになったのは、いつごろからだったろう。たぶん、 10年もたってないだろう。5、6年くらいかなぁ。  携帯電話も、駅の自動改札も、インターネットもすこし前までは全然なかった。ちょっと前までは、二十五くらいで結婚してたのに、今じゃ、そのぐらいで結婚すると、すごい早いねと言われるようになった。5年もたつと、常識なんてすっかり変わっている。たった5年くらいで。            自分が、いろんなものにしばられずに自由に生きるってことは、他人のわがままを許すってことでもあるんだよね。それができないんだったら、ただの『自己ちゅう』の女だ。案外みんな、私はそんなんじゃないよ、と思ってる。私もそう思ってた。  でもけっこう人を許すのって難しい。私はこうしたいけど、あなたがいやだといったら、じゃあやめよう、と言えるか。いつのまにか、なんでこうなるのよ、と文句だけが頭をぐるぐる回っている。なんでこうしてくれないの、と悲しくなっている。  あなたが自由であることを、大切にしていこう。これから。難しいと思うけど、きっとできるよ。            TVゲームをすると時間がなくなる。ゲームをすると目がいたくなる。ゲームをすると電波で体がおかしくなるともいわれてる。ゲームをするとそのあいだに地震速報があってもわからない。ゲームをすると他のひととのコミュニケーションがとれない。でもゲームをするとそんなことはどうでもよくなる。            ひとりで映画館に行って、ちょっとおなかがすいたので、なにか売店まで買いにいった。そしたら、『ラスク』があった。『ドイツラスク』という名前だった。うれしくなってコーヒーとラスクを買い、席にもどる。まだ開演までしばらくある。この時間はいつも思うがとてもへんだ。この、映画の前のあかるい、しらけた時間。  あんまり有名な映画じゃないので、人は全部で9人くらいしかいない。コーヒーをこぼすといけないので、床において袋をあける。サクッ。なつかしい。あまり人がいないので、音が2、3こ前の席の人まで、聞こえそうな気がした。サクッ。まだ暗くなっていない映画館。カーテンは赤で、妙にくたびれてる。       友達と行く夏の旅行のために、麦藁帽子を買った。ほんとうに普通の。かざりもなんにもない、シンプルな帽子。すごく嬉しくなって、かぶって帰った。暑い駅からの道。太陽がじりじりっとくる。自転車で、その時はフレアースカートをはいてたから、まるで田舎の高校生みたいに純朴に自転車をこぐ。  途中で突風がふいてきて、帽子をとばされそうになった。はっと片手でおさえる。その瞬間、ぐらっと自転車が傾いて、そばにいたトラックにふれそうになった。  もし、ここで、死んでたら、友達が遺品を警察で見るだろう。夏の麦藁帽子がその中に入ってたら、つぶれて、ぐしゃぐしゃになってたら、泣いてしまうだろう。そんなへんなことを考えて、旅行までは死なないように気をつけなきゃいけない、と思った。            夜の自動販売機。暗い道に、ぼおっと光っている。お風呂に入った後、洗ったままの髪で、ジュースを買いに行く。Tシャツで、短パンで、スニーカーのかかとをふんで、マンションの階段をたらったか、たらったか、と降りてく。けっこう楽しい。  誰もいない住宅街の道で光ってる機械。近付いていっても黙ってて、何もしないところが、とても私達側の人間のようだ。  どれを買おうか、けっこう迷う。嫌いな飲み物が多くて、買えるものは限られているのに。そこにいたいのだろうか。ガァーンというような電気の音が、静かに鳴っている。私の顔はそのぼおっとした光に照らされて、うすく光っているのだろう。やっと決めてボタンを押す。  ガン、ガッチャン、ガラガラ、ゴトッ。おそろしいまでの音がして、その製品がポケットに落とされる。いつも思うのだが、こんなにいろいろなものが急速に発達してるのに、あんな勢いで落ちてこなくてもいい機械は、できないんだろうか。でも、あの音がなくて、静かににゅーっとでてきたら、さびしいかもしれない。ポケットから缶を取り出す。いつも、たいてい、思っていたのじゃないものを買ってしまっている。       人をすきになるのが、すきだなぁ。私は。それは、たぶん、この世でいちばんすてきなことだろう。            部屋にいて、窓をあけないでいると、酸素が確かにうすくなるような気がする。酸素は、大切だ。このままずうっと開けないでいたら、どうなるんだろう。それで窓を開けようかどうしようか、ぼおっと考えていたら、向こうの丘の上の、一軒の家の明かりが急にぽっと消えたので、びっくりした。           今日帰る時、自転車置き場の横の、風呂釜を売っている古い会社の小さな畑に、なすの花が咲いていた。むらさきだった。きれいだった。いままで、気付かなかったなんて、私はなにをやってたんだろう、という気がした。       精神的に疲れるって、どういうふうになってるんだろうか。神経が、いたまってるわけだよね。実際どうなってるんだろう、そのほそいほそいすじ。そのまま疲れて疲れて疲れていくと、狂っちゃうこともある。どこで、そのすじは、いっそ、狂ってしまおう、って決めるのだろうか。その瞬間があるとしたら、かわいそうだ。            真夜中は、すごく、おちつく。 私は、生きている。 わーっと、体全体が熱くなるような時がある。私は、これからなんだってできる、と思うと。  朝の4時。もう鳥がないている。 空がうす青く、暗く、深く、 海の底のようだ。少し、眠ろう。    


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