ちいさなこと

日々は、実際のところ、
ちいさな瞬間の、積み重ねでできています。
そのちいさなことのひとつを、
ちょっとかえてみたら、
気分って、かわるものかもしれません。

あなたや私が、少しでもラクになったり、
はっとしたり、笑顔になれるように。
ちいさなことを、やってみました。













第24回「腰を冷やさない」






猛暑が続いてますね。
(これを書いてる時点ですが)
あまりにも暑いので、
家でも室温が28度くらいになる冷房をつけたり、
扇風機と併用してます。

「冷えとり」の本にも書きましたが、
年々あまりにも冷たいものは、
そこまで欲せず、
夏になってようやく、
冷やしたビール&常温のビールを
混ぜたものを、家では飲んだりしてます。
(でも「冷えとり」では、
お酒はみな、体を冷やす性質なので、
ぬるかろうが、冷やすことには
変わりないのでご注意。
胃に冷たすぎるので、せめてこうしてます)

私は外では夏だったら、
冷えたビールも飲みますが、
ダンナは外でも
「常温のビールってありますか?」と言い、
店員さんをぎょっとさせています。

たいてい「すみません、ないです」
と言われますが、
裏の方を探して「あります」
と言ってくださると、非常に嬉しそう。
でも中国なんかでは、
そんなにキンキンにはしないと
友人からも聞きました。
やはり冷たすぎるものを、
油断してずっと飲んでると、胃が疲れる感じがします。

ここ数日、その急激な冷房や、
ちょっと冷たいビール、猛暑からの疲れなのか、
腰がうっすら痛くなり、
膀胱炎の手前のような、
トイレに行きたいかなー、という症状が出てきました。
膀胱炎的な症状は、
私が20代後半に体を壊した時に、
最もまいったものなので、がっくし。

でも以前も、こういう
うっすらした症状が出て、
冷えとりで養生してたら、
何日かで治ったので、
反省して、いろいろ取り組むことに。

まずそのビールは我慢し、
夜も温かいお茶に。
おいしい玄米茶にしてみたら、かなりよかったです。

半身浴も、40分くらいは入ってみたり。
また腰や胃の裏あたりを、
背後に手を回して、ゲンコツでグリグリ押してみると、
日頃より、びっくりするくらい
固くなってるのに気づきました。

まるで自分の体に
「冷房の中で体を置き去りにして、
ほおっておいたからだね」
とでも言われてるような。
冷たいものを胃に流し込んだことで、
生まれた固さもきっとあるでしょう。

それでとにかく、こわばりをほぐそうと、
急にいろんなところをマッサージ。
以前、テニスボールを使った
マッサージをテレビで見てから、
時たま使ってたボールを、
あおむけになって、おしりや腰の下にかませ、
自分の体重で押す方法で。

これ、テニスボールの固さがちょうどよくて、
ひとりでもすごく効くマッサージができるのです。
(なかったら、自分の手を「げんこつ」にして、
体の下にかませても)
おしりも、けっこう固くなっているのですよね。

また靴下は常に履いてますが、
特に腰を冷気から守らねばと、
夏に家ではほぼしない腹巻きもしてみたら、
付けた瞬間、「あ、安心」とすとんと納得しました。
(冬や外出時は、よく腹巻きするんですが。
ダンナは夏でも、冷房の職場に腹巻きで出勤)

さらに寝る前に、あおむけで
おなかも押してみると、ここもまた固い感じ。
なでたり、押したりすると、
ほわっとほぐれて、温かくなった気がしました。

そんなことを一晩やった次の日は、
けっこう昨日とは違い、いろんな症状もやわらいでて、
その翌日にはもう治っているようでした。
(冷えとりを長年すると、反応が早いと思います)

嬉しいとともに、
「体って、ほっとかれると、
グレたように固くなるんだな。
でも手をかけてやると、応えてくれるんだな」
と思いました。

猛暑の夏は腹巻き、マッサージ、半身浴など、
体がグレる前にやってあげてください。

 

(※追記:
これは以前の原稿なので、膀胱炎っぽい症状は、
今は出ることは、なくなりました。
でも、もしそうなったら、シグナルだなと思って、
より半身浴など、強化すると思います。
とにかくシャワーだけの方、
ぬるーいお湯の湯船に浸かってみましょう。

あと、ビールなどのアルコールも、
全く飲まなくしたり、少しだけ飲んだり、
昔よりは、ずいぶん控えてます)












第23回「具体的」









「具体的」って、いいなと思います。

頭の中で考えているだけではなくて、
動いてみること。

たとえば、何か夢があるとしたら、
まず具体的に調べてみる。
今はネットの時代なので、
そうとうな経験談まであれこれ載っていて、
(それも逆に良し悪しではあると思いますが)
知りたいことの、かなりの部分がわかってきます。
そこから、具体的にどこかに出かけてみる、
というふうに続けてみるとか。


昔、私はすぐいろんな学校に行ってました。
大学時代や、社会人になってからも。
コピーライターの学校、デザインの学校、
脚本家の学校、映像の学校、作詞家の学校。
(どれも簡単な講座ですが、
いったい何になろうとしていたのか、
ちょっと笑えますね…)

そして今考えると、コピーライターの学校以外、
ほとんど現在の役に立ってるような気はしませんが、
すぐ考えて、すぐ行ってみる、というのは、
なかなかよくやってたなと思います。

そして行ってみると、
「やりたいのはこれじゃない」とか、
「これは私には無理だ」と
消去法ではっきり消えていくので、
それも「具体的」のいいところだと思います。


そういえば就職も、
今の厳しすぎる就活とは、
まるっきり比べものにはなりませんが、
四畳半の下宿部屋から、
夏に汗ダラダラかきながら、黒電話で、
広告制作会社の名簿を見て、順番に80社くらい
「来年は募集をされてますか?」と
電話してたことを思い出します。

他の同級生はすんなり春に決まってた時代に、
ひとり取り残されて、
アナログにがんばってたみたいです。

でもそこでアルバイトを募集してた
広告制作会社があり、
夏休みを働かせてもらいました。

しかし最初から、
「来年はとらないのだけど」と言われており、
別のところもたくさん探しながら、
もうそろそろ決めかけてた年末に、
「やっぱりとるけど、来ますか?」
と連絡がきて、この道に入ったので、
まあ、80件具体的に電話したのもよかったのでしょう。


「具体的」のいいところは、
何にせよ、進展があるところだと思います。

ダメだ、ダメだ、ダメだ、またダメだ、
ってことももちろん多いですけど、
じーっとしていたら、
何ひとつ変わってないまま、
じーっとたたずんでる状態ですよね。

そのほうが、傷つくことは少ないですけど、
やったあ、という状況に近づいてもないので、
逆にうっすら長く傷ついていたりして。
考えどころです。

こういうチャレンジも、年を重ねてくると、
若い頃よりは、飛ぶ勇気がとてもいりますけど、
もっとやみくもであった
昔の自分を思い出して、
前に進んでいきたいなと思います。

ちいさなことも、おおきなことも、
ぜひ具体的に、やっていきましょう。









第22回「ほうき」






ほうきは、お使いですか。

私は、以前の著書
(『あおきみさんの妙に役立つ日々の知恵147コ』)に
しゅろのほうきを購入したことを書きましたが、
その時も、「おお、いいぞ」と思った反面、
ほこりがホワホワと逃げて行くのを、
つかまえるのがけっこうたいへんでした。

濡らした新聞紙や、お茶殻を撒いたら、
わりとちゃんとできたのですが、
だんだんそんなひと工程おかずとも、
確実にほこりを吸う掃除機へ戻っていってしまい、
「私、ほうき、ダメだったかー」
という敗北感とともに、
そこから5年くらい、しまったままでした。

そして時折「もう使わないから、
誰かにあげるか、処分するか…、
でもほうきは持ってる友達が多いし、
それにこれ、ちゃんとした
しゅろのほうきだから、
処分するには、しのびないし…。
でももしかして柄が長いのと、
しゅろ部分が大きすぎるから、使いにくいのかなあ。
短い、しゅろじゃないほうきを買ってみようかな。
いやいやー、使えないのに、
ほうきがふたつになるって、ありえる?」
とか、ぐるぐる考えたまま。

そして最近、ふっと、なんの意味もなく、
そのほうき使ってみようかなと
以前のように新聞紙を濡らして
細かくちぎり、掃いてみたら、
「あらあー、いいじゃないですかあ」となりました。

前はダメだったのに、なぜ今回大丈夫だったのか、
すごく不思議なのですが、
考えられることと言ったら、
うちのほこりが少なくなったことかなと。

ここ数年はダンナも気がついたら、
ちょいちょい掃除機をかけてくれるので、
そういう部屋のきれいさに慣れると、
少しのほこりでも気になって、
私もわりと毎日かけてました。

そんなふうだと元々のほこりが少ないので、
逃げていくものも少なく、濡れた新聞紙に
ばっちりからまってとれるのではと。

また長い柄のほうきの操縦法が、
以前の経験で慣れ、
よりよくできるようになったのもあるでしょう。
それで毎日か1日おきくらいには、
けっこう、ほうきでやるようになりました。

そこで、ほうきの利点も再認識。
壁や家具の間際など、
掃除機が入らないような隅も、
ざっざっとかきとれるので、
とてもすっきりします。

排気が出ない、大きな音がしないことから、
お子さんがいらっしゃる方は、
早朝やお昼寝中などにも、
もう使っている方が多いのでしょうね。
静かな掃除って、なんだか高尚な感じがします。

もちろん電気を使わないので、
節約にもなるし、罪悪感も少ないです。

でもうちでは、たぶん、
これからも掃除機も併用するでしょうし
(特にダンナにほうきは、まだハードルが高そう)、
この先、ほうきの運命がどうなるかはわかりませんが、
前にトライしてダメだった掃除法とか、
もう一度やってみると、
以前とは違う自分なので大丈夫、
ということもあるんだなと経験できました。
それがわかったのも、大きかったです。

ほうきにトライ、
もしくはダメと思い込んでる何かに
再び挑戦してみませんか。



(追記:
これは以前の原稿で、新しい家になって、
ほうきだと、横に掃いていくので、
無垢の床板の微妙な隙間に
小さなゴミが、はさまるような気がして
(そんなことも、ないのかもしれませんが)、
ついにほうきを断念しました…。すみません。

でも、ダメだったものにもう一度トライしたら、
全然違ったという経験は、とてもハッとするもので、
また何かに生かしたいと思っています)












第21回「味わう」









「これが終わるまでは、
とにかく必死にがんばろう」と考えて、
その間を耐えていく、というのは、
私たち日本人がやりがちな、
得意なことだと思います。

受験から、就職活動、転職、生き方、
自分の望みに対するいろんな活動。
ときに今、「○活」って多いですね。

なんかそう言うと、死ぬまで、
なんでもがんばって活動しないと
いけないような気がして、
あんまり使いたくはないなあという気分です。

いろんな場面でがんばるのは、
もちろんいいことだと思いますけど、
がんばりすぎて、
ボロボロ、クタクタにならないように
自分を見守ってあげてほしいと思います。

ひとつ、私がこの頃、
ふとできるようになったことは、
「早くこのことをクリアしてラクになりたい」
という気持ちが多すぎて苦しい時に、
逆に「これが終わったら、
二度とこのことは味わえないのだな」
と思ってみるということです。


若い頃は、「もう一刻も早くそのことを叶えて、
ラクラクになりたいよ」と思ってきましたが、
そういう私のような人は
きっと、その前も何かそういうシステムで考えて、
同じように、「これさえ叶えば」
とがんばり続けていたのではないでしょうか。
もう忘れてるかもしれませんが。

そうやって「これが叶えば」と
走り続けて行くと、そのゴールは死ぬ時。
苦しい、と言いながら、まっしぐらです。

「叶う前は苦しく、叶えば幸せ」
という単純な図式だけだと、
人生は、つらいことが多いかもしれません。

なので、その渦中でも、
あせりばかりではなくて、
その苦しさの中のやりがいとか、
ほんとはちょっぴりある楽しさとか、
おやっ、ていうありがたい発見とか、
誰かへの感謝とか、
目に入ってない貴重な幸せとかに、
気づいていけたらと思うのです。


感じとろうとすれば、
「事態は最悪」なのではなくて、
そのことの中にも、いいことは存在しています。
「このつらいことの中の、いいことって何?」
と考えてみてください。
それが見つけられた人は、すごいと思います。

その結果、
「とはいっても、こんなことが
できるなんて、幸せかなあ」なんて思えたら、
余裕がでて、
その人の雰囲気もキラキラ輝くと思います。


そこまで思えなかったら、さっきのように
「死ぬまでで、このことを味わうのは、
もうたぶん今だけのこと」と思えば、
つらいことも、
やや達観した目で見ることができる気がします。
なかなかできないことではありますが。

なにごとにも、終わりがあったり、
変化があったりします。


少しだけ、違う目と感覚で、味わってみましょう。












第20回「肩甲骨」







いろんな体操やら、ダイエット法やらの
共通項をざっくり探すのが好きです。
「この人もこう言ってるし、
これも同じ目的だし、結局これが大事か」
などと自分で考えてみるのです。


肩甲骨については、
数年前からいろんな体操を見かけ、
ちょろちょろやって、
よさそうだなあと思ったままでしたが、
新聞に、肩甲骨を動かす体操で
肩こりを改善しようという記事があり、
再びうなずいた次第です。

その動きのひとつに
「肩甲骨の間を寄せる」というのがあり、
ペンギンみたいに腕をのばして、
後ろのほうに持っていく動作が紹介されていました。

この連載の第3回「せのび」でも、
腕をのばして体の背面で指を組む姿勢に
ちらっと触れましたが、
それと同じような、
肩甲骨の間の肉がぎゅっと寄る動きです。

ちなみに私の肩や、首は
まだこっていると思いますが、
背中のほうまでバリバリに
固まってた実感があった昔より、
ずいぶんラクになったと思います。

最近、美容院でマッサージしてもらっても、
「あ、そっち(背面)はもうないので、
上からお願いします」と言う時もでてきました。

私が続けてる「冷えとり健康法」では、
肩こりは「食べ過ぎ」からくる
と言われており、それもそうだと思っています。

私は冷えとりを続けながらも、
まだ食べ過ぎもあるでしょうし、
パソコンやテレビなどで
目をがっつり酷使してしまう、
よろしくない日常もあるので、
現状くらいなのかなと思うのですが、
それでも背中のほうの「こり」がとれてきたのは、
冷えとりからであろうと思っています。
長年続いてるのは、これくらいしかないので。

さて、話がそれましたが、肩甲骨。
ネットで「肩甲骨 ストレッチ」などと
打ち込むだけで、いろんな体操が出てきます。

何年か前に見かけた
「ゲッタマン」という人の体操も、
試してなかったのですが、
動画で出てて、すごく効く感じでしたね。
(ダイエットできるかはわかりませんが)

「ロングブレス」の「腕(振り袖肉)」編も
動画を見つけ、これも似た動きで、時たまやってます。
(今、DVDを買わなくても、
ネットで見られるものも多く、
私にはこういう短いのが気楽です)


また以前、テレビで
「横から見て、肩が体より前に出てるとよくない」
と言われてるのも見ました。
たしか肩こりや、ダイエット的な話だったと思いますが。

それで自分を鏡で横から見てみたら、
肩がだらんと前に出てました。
でもこの肩甲骨を寄せる動きを時たましてたら、
いつも前に出てる肩を後ろに引くことが、
意識してできるようにもなってきました。

常にそういう姿勢ができてるわけでは
全然ないのですが、
また一歩、何か入り口を見つけた気分です。
肩を引いたほうが、写真に撮られる時も
比較的すっきり見えますよね。


またそういえば、肩こりについては、
水泳でよくなったという友達も何人かいました。
(私、水泳はいろんな意味で
荷が重いので、なかなかできませんが…)

すべてひっくるめて考えると、
「よく動かしていたら、こらない」
という当たり前のことなのかも。

でも肩甲骨については、
「動かしてないことに気づいてない」
人が多そうなので、
ぜひなんらかの体操をやってみてはどうでしょう。

日常では、信号待ちなどで
腕を後ろに組んで立つ、
なんていうことだけでも違うと思います。











第19回「なんで?」







自分の生活の中で改善したいこと、
たくさんありますよね。

その場合、
「あれ、なんで、いつもこうなっちゃうんだろう」
と考えることって、
そのとっかかりのひとつになりそうです。

たとえば私は、調理中に
包丁で指を切ってしまうことが、ごくたまにあって、
そそっかしいからだなあ、と
普通に思っていたのですが、
以前、友達に「調理中に、指って切ることある?」
と聞いてみても、「ううん」と言われて、
あら、切らない人もいる(とてもたくさんいます)、と。

それで「なんで、よく切っちゃうんだ?」と思って、
数ヶ月前、自分の手元を改めてよく見てみると、
猫の手のように指をまるめて切ってはいるのに、
それがやや斜めに傾いてることによって、
野菜の束を横で支える親指のほうが、
にゅっと微妙に手前に出ていて、
ひょえーっと驚きました。

しかも、そのことに全然気づいてなかったということは、
いつもどれだけ手元を見てないかということです
(自慢ではなく)。

このことに気づいてからは、
よく手元を見るようになり、
親指を引っ込めるようになり、今のところ、無事です。



もうひとつの例は、
葉物野菜を買ってきて、
すぐに濡れた新聞紙にくるんでおいたり、
カットしておいたりすればいいものの、
つい野菜室に放りこんでしまい、
なかなか使えないと、傷んでくること。

でも、これも「あー、もう。なんで?」
と思いながら、ふと観察してみると、
最初に弱ってくる葉は、
茎が折れてたりする外側の数枚なのだ
ということに気がつきました。

それで調理する時(早めに!)、
まずそういう葉からポキポキ取って使い、
あとは全体を株ごと、ざばっと水洗いして、
乾いた新聞紙にくるんで保存すると、
そのあとけっこう長持ちしてくれます。

「最初から全部濡れた新聞紙にくるめよ」
という声が、自分の中からも聞こえてきて、
いずれ、完璧にそうすることも
できるようになりたいのですが、
今段階の気づきとしては、わりあいと気に入っています。


でももちろん、すべてのことが、
考えただけで改善されるわけではないのですが、
人って、わりあいと同じことを
何回も繰り返しているのだと思います。

でも意外とその原因は考えてなくて、
「あー、また」となってることが多いよう。

なので、たまには「なんでこう?」
と考えてみるのも、いいものだと思います。
それをネットでも検索したら、
同じことで困ってて
改善策を見つけた人もいるかもしれません。
友達に聞くのも、すごくいいこと。

ちいさな原因特定→改善運動という感じです。










第18回「心と体」









心と体は連動しているとよく言われますが、
私がそれを実感するのは、
気を張って何かをしている時は、
体も火事場の馬鹿力を出してついてきてくれるのに、
終わった…と思ったとたん、
気がゆるんで、どっと寝込んだり、
体調がかんばしくなくなる時です。

終わるまでは、たいていなんとか
持ちこたえてくれるのも不思議ですし、
もうゆるんでいいんだとわかったら、
今まで溜め込んでいたものを
わーっと吐き出して、休ませようとする、
この体というものは、
よくできているなあと思います。

ほかにもレモンや梅干し、
おいしいものなどを想像すると、
唾液が出てくるとか、
イヤな音を想像するだけで、
ギーッと体が硬直する、なんてことも、
心と体がつながっていると思えることです。


ならば、やはり、
つらく、苦しいことばかりを考えているよりも、
楽しい、幸せなことを考えているほうが、
体にいい反応が出るんじゃないでしょうか。

「そんなことばっかりできないよ」
と私も思ってしまうほうですが、
その割合をちょこっと
変えることはできると思います。


たいへんなことの中に
どっぶりとはまりすぎてしまわず、
もちろん、大部分は
そのことを考えてしまっても
しょうがないと思うんですけど、
その中でちょいちょい、いい想像もしてみたり、
そのことは忘れるくらい、何かに熱中したり、
単純に楽しく過ごす時間を持つこと。


「私って、将来こうなっているかもしれない」
と、いい妄想を能天気にしてみたり、
散歩とか、買い物とか、カラオケでもいいし、
単純にウキウキすることをみつけて、
気分を発散すること。


たぶん、そのほうが、
真剣に悩んでいるようなことにも、
逆にいい後押しになるんじゃないかと思います。

重い自分では、運気が悪くなってしまうから、
軽い自分になって、さっぱりと行動する、
という感じでしょうか。


また反対に、
体の方面から整えていって、
つながってる心を支えることも大事だと思います。
現代人は各方面から、
体にそうとう無理をさせているはずなので。

特に体が冷えていると、
心もすさみやすくなる気がしていて。
私も、はや25年くらい続いている
「冷えとり健康法」も非常にいいと思います。

冷えとりの経験者の多くが、
「足元を温かくするだけで、
心がどっしり落ち着いて、
まあいいか、と思えたり、イライラが減った」
と言われますけど、本当にそう思います。
そういう変化も、ぜひ味わってみてほしいです。

心の方面から、体の方面から、
お互いをいたわるように、
いいアプローチを始めてみませんか。











第17回「移し替える」







すごく単純な、ちいさなことなんですけど、
「容器に移す」ってやっていますか。

調味料や食材などを、
買ってきたパッケージから出して、
何か別の容れ物に入れること。

私は、ほんとうにまばらで、
ほとんどやってないほうが
多いのではないかと思います。

塩や砂糖、味噌、乾燥出汁などは、
決まった容れ物に入ってますが、
たとえば開けかけのお菓子類、乾物、調味料…、
今、ストック置き場に
見に行ってみたら、
見事に洗濯ばさみで
口が留められていました。

「洗濯ばさみ&輪ゴム留め」文化の
家で育ったからなのでしょうか。


ちなみに開封した粉物だけは、
けっこう前から冷蔵庫に保存してます。
棚なんかに忘れてて、
虫がつくのを防止するため。

検索したら、「冷蔵庫のほうがよい」、
「お好み焼きの粉など以外は大丈夫」、
「でも冷蔵庫がパンパンになり、入りきらずに困る」、
「冷蔵庫から出した時の温度差で、逆に湿気るのでは」
などとさまざまな意見がありましたが、
うちでは今まで通り、やっぱり冷蔵庫かなあと。
これは袋のまま保存してますが、
今までに湿気たような感じはないですね。

ちなみに洗濯ばさみは
アルミ製のものが、
プラスチックと違って劣化せず、
かわいくて好きです。
徐々に全部これにしたいです。


話がそれましたが、移し替えのこと。
先日、輪切りの唐辛子を
小瓶に入れてみたら、
使いやすくてびっくりしました。

これも洗濯ばさみ組だったのですが、
白菜漬けにちょっと入れる時、
瓶のほうが、さっと開けて、ぱっとしまえ、
形が定まってない袋状と違って、
独立して立ってるので、
ストック置き場でごちゃっと
埋もれてしまう率も低いと気づきました。
気づくのが、べらぼうに遅いですが…。

雑誌で見る家事の達人の方々が、
こうして容器に移し替えて
いらっしゃることは知ってても、
ちょっとめんどくさくい気がして、
つい洗濯ばさみ、となっていたのですが、
これから、もうちょっといろいろ、
移し替えてみようと思いました。

お茶っぱやティーバックは、
少し前からそうしてて、
これもすごく使いやすいし、
ガラスのジャーにティーバックが
入ってるのを眺めるだけで、
なんだか、いい気持ちになるのですよね。
自分ができる人のようにも思えます。


こういうひと手間が、
すべての物に対して習慣になったら、
ラクなんだろうなあと思います。

でも「私でも、できたものもあるのだ」
と自分に言い聞かせて、
少しずつやってみることにしましょう。
そういえば同じサイズの
はちみつの瓶が定期的に空くので、
それは利用できそうかなと。

大きいサイズの食品などは、
まあそのままかなと
思うものもありますが、考えながら少しずつ。

そのよさを実感することができたら、
私だって、やると思うんですよね。










第16回「記憶」








先日、昔の同僚と数人で、
久々にご飯を食べた時のこと。
そのうちのひとりとは、
十年ぶりくらいかもしれず、盛り上がりました。

昔の思い出を話しながら、
「あの時、ああだったよね」と誰かが言うと、
誰かは、
そのことがあったことさえ覚えてなかったり、
また誰かが別のエピソードを言っても、
自分がその場面で覚えてるのは、
全然違うことだったりするのが、
すごくおもしろかったです。

たとえば、ひとりの女友達が、
こんなことを話してくれて。
「あおきみさんちに
みんなで遊びに行った時(私が結婚した15年前)、
最後にお味噌汁をつくってくれて、
生の水菜か何かをお味噌汁に
ぱっと散らしてたのが、
かっこいいなと思って覚えてる」
と言ってくれて。
私はもう、まるきり覚えてなかったので、
びっくりしました。

逆に私は、その子の家に遊びに行った時、
野菜の皮むきをちょこっとだけ手伝ってたら、
包丁がとてもよく切れたので
(そそっかしいだけですが)、
指を切ってしまったことを覚えてたのですが、
その女友達は全然覚えてなかったり。

また別の男友達は、その飲み会で
「酔ってふざけて、たいそう怒られた」と言っていて。
「あー、そういえば、そうだ、そうだ!」と。

そういう話ひとつひとつが懐かしく、
おもしろかったのですが、
ふと、なぜみんな同じことを
覚えていないのかな、と思うわけです。

自分にとって印象的なことが、
記憶の中に長くとどまるということですよね。

同じ場にいても、
見ている風景や、感じてることは違い、
記憶に残っていくことも違うんだなあと、
改めて感慨深いものがありました。


そこから派生して思ったのは、
過去につらかった、たいへんだった
というマイナスの経験も、
かなり長い時間がたつと、
「ああ、そんなこともあったねえ」と
なんだか印象的な、丸みを帯びたエピソードに
置き換わっているということ。
その当時の深刻さ、強烈さはほとんど薄れていて、
その頃の自分も愛しく思い出せます。

だとすると、
今「ガーン!」と落ち込んでることも、
十年、二十年たってみると、
ほのぼのした話になっている可能性があります。
またちいさなことなら、
思い出せすらもしないことも、すごく多そうです。

だから何事も、そこまで思い詰めて
悩みすぎないことだなと思いました。
それは、いずれは忘れてしまうか、
おだやかな話になるかのこと。
イヤなことはさっと流して、
その分、
楽しいことのほうに逃げていきましょう。


「記憶に対する思い」も、
年々変化していくのだろうなと思います。
そう思うと、人間の脳というのは、
ほどよく忘れたり、まろやかにしてくれたり、
やさしい装置ですね。

 











第15回「回復」





なんだか、やる気が出ない時。
ちょっと落ち込んでしまった時。
人は、いろいろな回復の仕方を持っていると思います。

私の中で、「誰かに話してみる」は、大きな回復のひとつ。

自分の頭の中では、こうだ、と固まっていて、
堂々巡りを繰り返しているような考えも、
他の人が聞くと、はっとするほど
違う捉え方をして返してくれることがあります。

そうじゃないとしても、
「○○なんだよね」と友達に言って、
「そうなんだ」と言ってもらうだけで、
何も問題は変わらなくとも、
話す前の悶々とした空気から、
ちょっとだけ軽い方向に行ける気がします。


そして、こういうのはメールじゃなくて、
できたら電話や、
会って話すほうが、回復力が高いと思います。
メールって便利だけど、
気持ちが伝わってなかったり、
ちょっとした言い方で行き違いになったり、
わりあいとクールなツールではないかと思うので。


もうひとつの回復の方法は、「やさぐれてみる」です。

「もっとポジティブに考えなきゃ」とか、
「こんなことじゃいけない」とか、
明るく、優等生的に浮かび上がってこようとすると、
なかなかできなくて、
「どうしてできないんだろう」と
また自分を責めてしまったり。

でも逆に「もういいや」とか、
「とことん暗くなってやる」とか、
不良のようにやさぐれて、
「私、すごく落ち込んでいるんだし」
と開き直ってみると、
「あれ、そこまで暗くなることでもないのかな」とか、
「まあ、なんとかやってみるか」とか、
少し逆の考えが自分の中に見つけられたりします。

それは、たとえて言うと、
海で溺れると思って、必死にもがいてると、
苦しくて、上がってはこれないけど、
沈もう、沈もうとしても、結局浮いてきてしまう、
というのに、なんだか似ている気がします。
人には時に、深海で
暗く休むような時期があってもいいのでしょう。


そして「やさぐれる」というのは、
「あきらめて、手放す」ということを、
少し含んでいるように思います。
「執着を手放す」ことは、
物事がうまく進んでいくのに、とても重要みたいです。

ごちゃごちゃと執着してることをいったん放棄し、
傷ついた自分を、「よしよし。
だって、がんばってるのに、ダメなんだもんー」
と認めてあげ、
自分の心に正直に、クリーンになるとでもいうか。

そうしたら、人間、いつまでも延々と、
やさぐれていることはないと思います。

しかるべき時に、きっと、
少し軽くなった自分で浮かんできます。









第14回「連鎖」






最近、私がすごく片付けをしていると、
ダンナもふいに掃除を始めました。

彼はいつも、私の原稿を校正してくれるので、
前回の連載の
「小さな範囲だけ、全部出して掃除をする」
というのを読んで、背中を押されたと言ってくれ、
ある日、自分の本棚の一段を
全部出して、中を拭いていました。

それに気づき、「わーっ、すごいね!」
とほめ倒すと、すごく嬉しそう。
彼は自分が片付けた、その一角を眺めて、
「すごくきれいになった」と大感動していました。

そうなると、もっとそういう場所を
増やしたくなるらしく、スピードにのって、
どんどん別の段、次の本棚、別の戸棚まで移って、
今、3日も4日も、
大量にいらない本やテキストを捨てまくっています。


ちょうど今、仕事(予備校講師)が休みなので、
やりやすい条件が揃っているからではあるのですが、
前はそうであっても、
なかなか取りかかれないことも多くて。
やっぱり、取りかかりとしての
「小さな範囲」は、効くのではと思いました。


そして改めて思ったのは、
誰かひとりの態度が、誰かに連鎖していくことって、
多いんじゃないかということ。

たとえば家族の中で、
明るく、楽しい態度をとっている人がいたら、
他の人も、同じようにそうなったり、
そうじゃなくても、そっちの方向に、はっとさせられて、
潜在意識の中で憧れをもち、
徐々に明るく、楽しいほうへ、
自分も引っ張られていったりすることが
あるのではないでしょうか。


人って、ものすごく、
何か、雰囲気を発しているのだと思うのですよね。

私はよくコンビニや郵便局で感じますが、
ひとりの人が感じよかったら、
そこはたいてい、みんな、いい感じ。
ひとり、どんより、なげやりだったら、他の人もそう。
ここは「こういう態度でオッケーです」
ってことになってるんだなと、そっと離れます。

いい感じの職場は、同僚が喋っている、
そのいい態度を目や耳から入れて、
同じようにしたほうがいい、と感じるんじゃないかな。


だから家庭でも
明るく、思いやりをもって過ごすことは、
それだけで大仕事というか、
とてもやりがいのあることだと思います。

疲れてるんだから、なげやりな態度で、しょうがない、
みたいなことは、伝わっていきますよね。

ほんのちょっとの言い方や、態度。
自分の醸し出す雰囲気で、
誰かをいいほうへ、
引っ張っていけたら、素敵だと思います。

私も、いい連鎖をもらうばかりじゃなく、
たくさんあげられるようにならなくては。











第13回「小さな片付け」





最近、家の片付けをやっています。

掃除の達人のお宅に比べたら、
まだ物が多いと思いますが、
昔の自分に比べたら、
少し自分なりの方法論も確立でき、
前よりは、だいぶ進歩しています。

その方法論のひとつは、まず
「とても小さな範囲だけ、片付けをする」
ということ。

ごちゃごちゃした部屋を見渡すと、
「いったいどこから」と途方にくれますが、
「この引き出しの、ひとつだけやろう」とか、
「台所の、この左上の収納部分だけ、やろう」
とか思うと、まだ勇気が出ます。

それとセットになってる方法論は、
「やみくもに、その中を全部出して空にする」
ということ。

私のような人にとっては、
「そのスペースから、いらないものを上手にまびく」
のは、高度な作業でした。

いっぽう、いったん全部出して、
その中をきれいに拭いてみると、
それだけで、そのきれいさに目を奪われ、
感動が生まれます。

そうなると誰しもその場所に、
再びたくさんは詰め込みたくなくなるものです。


そこで、その空間をキープする使命に燃えつつ、
ちょっと厳しい目になって、
「これは何年使ってないのか」、
「この先、これの出番があるのか」とか、
考えながら、なるべくごっそり捨てるほうに回します。

その際、「ストック的なものは
適量より、べらぼうに少なく持つ」ことも大事。
冷凍庫の保冷剤、割り箸、入れ物、タオルなどなど。
これを前に使ったのは、
どのくらいだったか、使用頻度を振り返り、
「割り箸は掃除の時に、1本あればいい」
とか結論づけます。


私は近年、ホテルの備品なども全然使わないと気づき、
ごちゃつく物を増やさないために、
何ひとつもらってこないようにしてます。

紙袋なんかもよく考えたら、
人に何かあげる機会など、そこまでないので、
多くても10枚くらいあれば、事足りるとわかりました。
なので、「あ、多すぎる」と気づいたら、
いらなそうな紙袋から処分。
そうならないために、なるべくもらわないようにもして。


そうやってひとつの小さな空間が
美しく完成したら、自分を誇りに思えます。
そしたら、もうしめたもので、
「この隣の棚も、ちょっとやっちゃおうかな」
と続けたくなること間違いなし。

でも時間がなくて、延長できなくても、
「私って、あの短い時間に、さっと掃除ができた」
ということが自信になり、
また「ちょっとの時間に、ここだけ」
とやる習慣の芽にもなります。

上級者さんには、当たり前以下の話だと思いますが。
私の、今のところの、いちばん強い方法論でした。











第12回「乾物」






突然ですが、乾物、使っていますか。
ストックしてあるのはわかってるけど、
なんとなく日々、ちゃっちゃと使えてない、
というのが、うちの現状でした。
そうやって賞味期限が長い乾物が、
棚の中で期限切れになってたのを
発見すると、すごく自己嫌悪に。

でも、けっこう前から、うっすらと
そういうのは、
「やみくもに戻してしまえばいいんではないか」
と思ってて、 この間実行してみました。

しかも「午前中に、もう戻してしまう」
ってことを思いつきました。
(働いてる方は、休日の午前中とか)
そうすると、もうまったなしで、
調理して何かにしてしまわないといけません。


この間は、袋に半分残ってた
高野豆腐をお湯につけてみました。
(使ってしまえば、ごちゃついた
ストックスペースが、少しあくのも魅力)

それから別の用事をしてて、
忘れた頃に台所に戻ってくると、すっかり戻ってます。

うちでは、昆布しいたけ出汁はいつもとってるので、
そこに、みりん、塩、醤油を足し、
ささっと煮たら、もうほっときます。
高野豆腐なんて、長く煮て柔らかくする、
というよりは、 おいしい煮汁を吸わせて、
染み込ませるという感じですからね。


夕方気がついたら、また少し煮て、
味を染み込ませたりして。
そしたら、もうおかずができてます。

夕方から、何か乾物を戻して調理しよう、
なんて思うと、もう時間が足りないし、
また今度でいいか、と延々なりかねないのが、
朝やってしまっておくと、
食材としての応用範囲が広がるようです。
戻した段階で、ネットを見て、
簡単な調理法を探してもいいですよね。


この成功に気をよくし、
今度は大豆を前夜、水に浸けておきました。
何にしよう、ということは、いっさい頭にないまま。
そして翌日、ただ固めに茹でただけの
大豆をつまんだら、
いい大豆だったせいか、まあおいしいこと。
つまみ食いが止まらないほど。
子供から大人、小腹がすいた時の
女性のおやつにも使えそうです。

夕飯には、ただ塩コショウをひいて、
箸休めみたいにしたら、それもよし。
残りは酢醤油に浸しておいたら、
次の日から、しばらく常備菜に重宝。
大豆の煮汁は、うっすら甘くおいしかったので、
鍋用の出汁に加えたら、それもよし。

これからも「乾物をやみくもに戻す」
って、やってみようと思ってます。
戻しすぎて、何も料理が思いつかなかったら、
その状態で冷凍もできるかと。
そのほうが、また調理にさっと使えますからね。

 









第11回「目標」








皆さん、今年の目標ってたてましたか?
私は、とりたてて毎年つくってませんでしたが、
ついさっき考えてみました。

「運動と掃除」なんて、どうかなと。
もうされている方にとっては、
当たり前のような話ですが。
ふたつとも、そのよさを知っているので、
もうちょっとやりたい、というもの。

去年は朝、歯を磨いた後、
ほんの3分くらいですが、体を動かしてました。
寒くても窓を開け(すがすがしさに重要)、
ヨガのポーズを3つ、4つ。
「ロングブレス」も正式じゃないかもしれないけど、
1セット(12呼吸くらいかな)。

これだけでも終わると、
体に何か巡るものを感じたり、
さっぱり明るく、前向きな気持ちにもなれ、
ほんとにいい感じがします。
バタバタして忘れてる時もありますが、それは気にせず。



掃除は年々、以前の自分よりは
よくなってて、使ったところをすぐ拭いたり、
ほこりを目にしたら、そこだけでも、さっと取るとか、
掃除機はなんとか、ほぼ毎日かけるくらいにはなりました。

(冬は特にほこりが目立つので。
ダンナが掃除機をかけてくれる時も)

が、もっときれいな友人の家に行くと、
「はー、うちなんか全然だわ」と思ってしまいます。

そのすがすがしい友人の家は、
拭き掃除が行き届いている印象です。
聞くと、台所の床だけは、毎日拭いて寝るのだそうです。

それで衝撃を受け、
台所の床だけでも時々拭こう! と水拭きしてみると、
ほんとうにすがすがしく、
その場所が輝いているように見えます。
何か、こちらに美しさを
訴えてくるような雰囲気さえあります。

でもこれも、たまにしかできてないので、
自分の意識の中にもっと植えつけたい、
と目標にしてみました。

そして今、ネットを見てたら、偶然
拭き掃除はけっこうカロリーを使う運動、
という記事を見ました。
(ですよね…。知ってます…)

腰を落として何かするのはキツいので、
逆に考えると足腰の鍛錬にもなります。
わざわざウォーキングに行ったりしなくても、
拭き掃除すれば、一石二鳥。

それでも、なかなかできないのは、
「あー、大変だ」と思うから。

ならば、「一日1カ所、ものすごく小さい範囲だけ拭く」
という方式ならどうだろう、と今思っています。

ダメかもしれませんが、
ひとつ考えてみただけでも、よしとしましょう。
習慣になっていくためには、
思いつきや、三日坊主、試行錯誤も大事です。











第10回「にんじん」




友達のツイッターを見てた時のこと。
「本日のにんじん」という文とともに
あった写真を開けてみたら、
パソコンのそばに、お皿に乗ったお菓子が
あるだけで、にんじんはなかったのでした。

「ん、この一緒に写ってる手帳が
にんじん色だから…?」とか、
ちょっと考えてたのですが、
「あー!、にんじんって、
馬の鼻先に吊るす『ごほうび』のことか〜!」
とやっとわかりました。

「にんじんねえ、うまいこと言うなあ…」
とのんびり思ってましたが、
ちょうど先週、にんじんの重要さを
改めて思うことがありました。


実はここ何ヶ月か、
来年出る本の追い込みをしてて(以前の話です)、
特に先月は、けっこうずーっと
家にこもりきりで作業する日も多くて。

パソコンの前で、昼は卵かけ玄米ごはんを
食べながら、文字を見続けたことも。
目が疲れて、しょぼしょぼしてきたり、
体にもじわじわ疲れがたまってきて、
はあーーーーっという気持ちになっていました。

そのちょっと前に友達とごはんを食べた時に、
「カラオケ行きたいね〜」と、
誰ともなく、なんとなく言ったことから、
だんだん私へのメールでも
「山を超えたら、カラオケが待ってるよ〜!」とか、
その話題になってて、
だんだん楽しみな気持ちが増えてました。


それをいつにするかは、
特に仕事が詰まってる私次第となったのですが、
全部終わって1月にするか、12月にするか考えてて、
「でも…、やっぱり、
もうそろそろ気分転換したい!」と思って、
12月で決行することにし、日時を決めてしまいました。

そこから、「よしっ、じゃあその分
間に合わせるように、ガンガンやるぞ!」
と仕事をしたら、
びっくりするほど楽しい気持ちでできて、
いうならば、ノリノリでできて、
けっこうかかると思ってた量のものが、
締め切りよりだいぶ早く提出できたのでした。
自分でも、その気分の変貌に驚くほど。


だから、何かをしないといけない時、
自分の目の前ににんじんをぶらさげるのは、
とても有効なんだなあと思いました。

「これやり終えたら、○○するんだあ」
と思ってる時の気持ちって、
ほんとにウキウキしてて、
つらくなってたかもしれない時間まで、
一気に楽しい時間にしてくれる可能性があるのです。

ノって、楽しくやるって、大事ですね。
そのための、にんじん。ぶらさげてみませんか。











第9回「ひなた」








この間、リビングから和室のほうへ入った時、
何か、かすかにいい匂いがするなと思って、
探したら、
かもいにかけてあった、
昼間干したシャツの、おひさまの匂いでした。
こんなシャツ数枚くらいでも、
いい匂いを、そこはかとなく
広げてるのかと思うと、嬉しくなりました。

タオルやシーツを干した時も、
そんなおひさまの匂いがたっぷりして、
顔をうずめて、んーっと吸い込む時も。
「ああー、いい匂い」と脳内で。
いつもこれ、
何かのセラピーに使えそうな香りだなと思います。

やはり乾燥機ではこうはならなくて、
柔軟剤や、他の何かを駆使しても、
このささやかな匂いはつくりだせないでしょう。
とてもゆたかで、あたたかい香り。
そう思うと、太陽の光って、恵みだなと思います。

同じように、人間も太陽の光にあたると、
気持ちが晴れる気がします。

夏はもちろん、強い紫外線を
あびないようにしたほうがいいですが、
秋から冬、そして春までは、
まあ、そこまで紫外線に神経質にならずとも、
家の中でも、時々日の当たるところで何か作業すると、
ほのぼの、いい時間になるような気がしました。


少し前に和室で洗濯物をたたんでいた時も、
最初は光が直接当たらない、たんすの前でやってたのですが、
ふと、窓辺に光がさしていることに気がつき、
そっちに移動してたたんだら、
わー、こっちのほうが、全然あったかい、と。

そして不思議と洗濯物をたたむのも、
ゆったり、おだやかな気持ちでできました。
わずか何メートルか、移動しただけなんですけど。

もしも家の中では、ひなたに入るのが難しかったら、
あたたかい日にベランダに出て、少しぼーっとしてみたり、
ちょこっとだけでも散歩に出たりすると、
気持ちが洗濯物のように、
ふっくら、よみがえるような気がします。

曇りや雨の日は、なんだか気持ちが沈む、というのも、
この光との関係があるのではないですかね。
以前、うちのマンションの外壁を修繕する時、2カ月くらい、
ネットが貼られて薄暗かったら、
気持ちも思いのほか暗くなった覚えがあるので。

ひなたの恵み。
時々じんわり受けとって、やすらぎましょう。












第8回「思い出」





どんな人にも、つらい思い出と、幸せな思い出がありますよね。

幸せなほうって、どんな日でしたか?

子供の頃、どこかへ出かけたこととか、
何かほめられたこととか、
やりたい仕事が叶ったとか、
好きだと思える人に会えたとか、
大きな何かを乗り越えたとか。

つらいほうの思い出が、
一緒に出てこないといいですけど…。

 

忘れているような瞬間を詳しく思い出してみると、
ふっと、今の自分から気持ちが離れて、
しばし、遠くに行けるような気がします。
脳内で旅をしているような。

もう今は、天国に行った母のこと。
幸せなほうを、ちょっとだけ、思い出してみました。

小学生だった頃の家は、
けっこう田舎だったので、敷地に大きな木があって、
その木陰に私がゴザをひいて、宿題したり、昼寝をしていたら、
コップにカルピスを入れて、持ってきてくれたこととか。

母と姉弟とで落ち葉を集めて、焼き芋をつくって食べたこととか。

運動会に持ってきてくれた重箱のお弁当の様子とか。

とてもちいさなこと。

そんなことも、思い出になるのですね。

これから生きていって、
思い出がどれくらい増えるのだろうなあと思います。



そう思うと、たった今の、ごちゃごちゃした日常も、
十年、二十年とたってみると、
そういう思い出のひとつになっているのでしょう。
愛しいことです。

だから、イライラしてたり、悲しんでばかりいないで、
今を、いい時間にしていきましょう。

大事にできる人を、今すぐ、大事にしましょう。

(これを書いた夜、母が夢に出てきてくれました。
私の弟と3人で船旅をしてました。
そんな思い出は、ないのですけどね)















第7回「できた!」






私はよく仕事をしてる時、区切りのいいところまでできたら、
小さくですが、
「よっし、できたー!」と口に出していて、
それがすごく嬉しいことに、この間、気がつきました。

言っても言わなくても、成果に変わりはなくて、
同じような気がしますが、
なんでしょうね、絶対に違っていて、すごく嬉しいのです。

自分の成果を、すぐにほめている、ということなのかな。
小さくても、感動が生まれているようです。

また時間の区切りもスパッとついて、すごくいい感じです。


なので、際限のない家事に対しても、
このことは使えるんじゃないかと思って。

掃除や、洗濯や、料理が終わった時に、
声に出して(大きな声じゃなくていいですよ…)
「はい、できた!」とか、
「よし、掃除終了!」とか、
「準備終わり〜!」とか、言ってみたら、どうでしょう。

「こんなに速くできるなんて、私って天才…」
「すごく上手だなあ、私」
「早起きしてがんばってるよねえ、毎日」
なんていうことを、頭の中でつけ加えながら。


誰かにほめられることは、もちろん嬉しいですけど、
自分がほんとうにがんばったことを、
隅々まで詳しく知っているのは、自分だけ。

忙しい毎日の中で、
自分をきちんとほめたり、認めたりすることは忘れていても、
日々、こういうかけ声だけでも、
ちょこっとほめることはできます。


それをやっていたら、
死ぬまでに、
たくさん自分をほめることができるなあ、と思います。

その分だけ、きっと幸せは増えているのではないかな。

軽く、小さく、たくさん、ほめていきましょう。











第6回「心地いいもの」








最近思ったことです。

「心地いいものには、さからえない」ということ。

体の感覚として、気持ちがいいものって、
絶対に「あー、気持ちいいなあ」と思ってしまうということ。

肌触りがふわふわしてるとか、
食べておいしいとか、
吸い込んでいい香り、ゆったりいい音楽、
素晴らしい景色などまで。
当たり前な話ではあるんですが。

そういう五感が心地いいことって、
心にもすごく作用すると思います。
体の中で幸せなホルモンとか、
物質とか、つくられるはずですし、
ひいてはストレスを少なくするのにも、
一役買うと思います。

でも日常で「心地よさ」は、
そこまで重要視されてないようにも思いました。

それは、心地いいものに気づいてない、
というのもあると思います。

一例として、私はオーガニックコットンのよさを、
ようやく実感してきました。
今までは、ちょっと高いし…、
そこまでじゃなくても、と思ってましたが、
レギンスなど、家にいくつかあると、
ついオーガニックや、
心地いいコットンのほうばかりを選んでる自分がいます。

はくたびに、気持ちがいいからです。
そんなに毎回、気持ちいい〜と思うなら、
この値段は高くないのかもと。
しかもいい状態で、長持ちするものも多いです。

そんな心地よさは、
お手軽なオーガニックコットンのTシャツ(無印良品)
くらいでも、感じられました。
この夏、いろんなTシャツの中から、
いつもそれに手が伸びてることに気づいて。
何でも、本能的に心地いいほうを
選んでしまうんだなあと再認識。
また毎回手に取る時、その肌触りに、
ふっと、やさしい気持ちになっていました。


なので、奮発になるかもしれませんが、
適当な安い服を買うのとか
2、3枚やめてみたりして(物も増えませんよ…)、
その分で気持ちいい繊維の服を買って、
たとえ、そればかり着てると思われても、
そういうのを着てる人のほうが素敵だし、
本人の心地よさが違うと思います。

タオルなんかも心地よいものを買うと、
使うたびに気持ちいいです。
(最近、ガーゼが重ねられたり、
片面に使われてるタオルも肌触りが好きです)

その差額って、よく考えると数百円くらいだったり。
何か食べ物をひとつ買わないくらいの金額で、
長いこと、いい時間が続きます。

身の周りで、何かひとつ変えてみて、
気持ちの変化を見てみてはどうでしょう。


 




 



第5回「1分」









どんなに忙しい方も、子育てでたいへんな方も、
一日に1分、だったら、
自分の時間を持てそうでしょうか?

「そりゃ、1分くらいだったら」という方、
その自分が使える時間で、何をしますか?

逆に私は、
自分の自由になる時間がたくさんある身なので、
少し考えてみましたが、
まず思いついた「呼吸」をしてみることに。
テレビなど音の出るものを消して、
目を閉じ、ゆったり椅子に座って、
息を深く吸ったり、吐いたりしてみました。

たった1分なのに、
静かだと、とても豊かな気分でした。
目を閉じるというのも非常によく、
ちょっとですが、目も休まるようです。

香りが好きな方だったら、
それに包まれて、というのもいいですよね。
他には、ただ空をベランダから眺めるとか。
頭のマッサージをしてみたり。

時間は全然正確でなくていいんですが、
「1分」という区切りを意識して、
それが自分のものだと思うと、
なんだか、少しだけ
贅沢に感じられるような気がしました。


どうしてなんだろう、と考えると、
たぶん人のため、仕事のため、
やらなきゃいけないことのために、
時間を使ってばかりだと、
ちょっと自分がかわいそうというか、
気持ちがすりきれてきて
しまうんではないでしょうか。

だから、ただ自分のために、
自分を「おもてなし」する時間が、必要なのでは。

毎日毎日、実際次々にやることもあり、
なかなか難しいとは思うのですが、
一日のすきまに、こうして1分でも入れ込んだら、
少しは気分が変わるのかもしれません。

1分が、もし3分にできるなら、
おいしいお茶を入れて、ぼーっと味わう、
なんてことをしてもいいのかも。
自分の趣味の時間に使えたら、そうしてもいいし。
ついネットやテレビを見てたら、
その3分って風のように消えていってしまいます。

「さあ、私のための時間」と
一瞬思うことだけでも、なんだかワクワクします。
もしかすると、それをやったかどうかより、
「私は今日、私を大切にした」
という姿勢だけでも、嬉しいのかも。

日々、時間を区切り、意識して確保するのって、
とても有効なことのようです。
できる方は、もうすっかりそうしていらっしゃるんだな。
私も、もっと上手になりたいけど、
とりあえず1分休んだりしてみます。







 






第4回「ありがとう」








「ありがとう」って、言ってますか?
もちろん言ってますよね。
でも日常的に、今より
もうちょっと、言うこともできるかもしれません。

運気的には、「ありがとう」とたくさん言ってると、
もっとさらに「ありがとう」って
言いたくなる状況が引き寄せられてくる
とも言われています。

それはほんとじゃないかと思っていて、
それもいいことだし、
なんでしょう、
なぜか「ありがとう」って言ってる自分も、
ちょっと気持ちがいい、嬉しい、
みたいなことがあって不思議です。


どうしてそうなんだろうと思うと、
ちょっと例が飛んでしまいますが、
結婚式で親への感謝の手紙を読み上げると、
伝える自分が感動してしまう、
なんていう図式と似ているのかも、と思います。

「感謝を伝える」って、
伝えるほうも、嬉しくなるのでしょう。

家の中でも、
小さいことから大きいことまで、
家族に「ありがとう」は、自分の気持ちがよくなります。


「靴揃えてくれたね。ありがとう」、
「お行儀よく食べてくれたね。ありがとう」、
「疲れてるのに、ありがとう」、
「毎晩遅くまで働いてくれて、ありがとう」などなど。

相手もきっと嬉しい気持ちになると思いますし、
注意するより、
やってくれた時、お礼を言うほうが、
深く届くんじゃないかと思って。

もし、あまり「ありがとう」が
得意じゃなかったら、
「醤油とってくれる?」「はい」「ありがと」
みたいなことから、始めてもいいのかも。

「ありがとう」って、
「私はあなたに感謝しているよ」ということを、
おおげさでなく、すぐに伝えられる、
いい言葉だなと思います。

言わなくてもわかる、のかもしれませんが、
言うと、すごくわかって感動します。

そして「ありがとう」が生まれると、
その場の空気が、
ふわっとあたたかくなるように思うのは、
気のせいでしょうか。













第3回「せのび」







せのびって、していますか?
試しに今、どうですか。

手を組むか、
どちらかの手首をもう一方の手で持って、ぐーんと上に。
座ったままでもいいですが、
立ち上がって、ぐーんとのびると、もっと気持ちいいです。

終わった後、はああああっと息がもれますよね。
ほんの何秒かで、すごくリフレッシュしていると思います。
肩甲骨や背中のあたりも、すごくのびます。

生活の中で、前屈みになることは限りなく多くても、
体を後ろにそらしたり、
胸を開くような動作って、あまりしないと思います。

今、スマートフォンの普及で、
電車でもこの前屈み姿勢を常に見かけますが、
その姿勢を続けることは、肩や目によくないと、
みんなわかっていながら、使っているのですよね。
(「ストレートネック」というものの一因とも)

もちろん私もスマホはよく使いますが、
家で、顔のほぼ正面にある
デスクトップパソコンを使うほうがまだラクで、
スマホに対して、
首を下に向け、斜め下の小さい字を見続けると、
より目や肩が疲れるのを感じます。
(できる場合は、首が下に向かないよう、
なるべく顔の正面に近いところまで、持ってきます)


もちろん今の時代、
それらを使わないわけにはいかないですが、
自分が自分で、肩のあたりを固めてしまっているのだ、
という自覚を持ちながら、
時々せのびをしながら、
からだをそらせてあげるのは、どうでしょう。

とにかく単純な動きで、
これだけ気持ちがいいというのは、
すごいなあと思うのです。

私もパソコンしながら、
画面を眺めて手があいてる時や、
休憩時に時々、立った姿勢でテレビを見つつやって、
リフレッシュしてます。

家事が一段落した時や、
会社の方はトイレでも一瞬でできます。
体がどんよりしてる時も、
なんだか気持ちがスッキリすると思います。


あと昔読んだ本に書いてあった動作なのですが、
寝つけない時に布団の上で寝たまま、
同じようにぐーっとのびて、ほっとゆるめる、
というのを何回かやると、
体がゆるんで寝られることもありました。
一度体をぐーっと緊張させると、
次に自動的にほっとゆるむのだと思います。

また、のばした腕を体の背後に回し、
指をお祈りするように組んで、
体をぐーんとそらせるのも、同じように気持ちいいですよ。
肩甲骨にも効く感じ。これも家でよくやります。

ジムに行ったり、ヨガなどを習う時間がとれなくとも、
ちょっとした動きで日々、
自分の体をいたわってあげることはできると思います。














第2回「はなうた」









はなうた、なんて、歌っていますか?
私は最近、ほんの時たま、そうしています。

元々歌を歌うのは好きみたいで、
若い時はカラオケに友達ふたりで行って5時間、
なんてこともありました。
今は、世の新しい歌に全然追いついてませんが、
ベタな日本の歌で、いい歌だなと思うと、
iPodに入れて覚えてみたり。

この頃は、友達と
カラオケに行く機会もほとんどなくなったので、
いつかぜひ「ひとりカラオケ」にも
挑戦してみたいんですが、
そういえば家の中でも、
ちょいちょい歌ったらいいんじゃないかと思って。

前からよくやっているのは、室内で洗濯物を干す時に、
iPodと小型スピーカーを持ってきて、
歌をかけながら干すこと。
(私はすべて、室内でハンガーなどに
吊るしてから、外に出す方式です)
そうすると洗濯の義務感がなぜか減って、
個人的な楽しい時間になるのですが、
そこで一緒に小声で歌うのも、
発散できるのでよくやってます。

でも歌がかかってなくたって、
ふらりと歌ったりするのも、いいんじゃないかと思って。

きっかけのひとつは、「サワコの朝」という番組でした。
ここでは、ゲストのおすすめ曲を
2曲かけるのですが、それがわりと楽しみで、
ある日、知ってる曲のサビを、
台所に食器を下げつつ、歌ったりしたら、
なんだか気分がよくて。はっとしました。

それからお風呂の中とか、誰もいない場所で、
ほんのワンフレーズ、
何かの歌を口ずさむと、新鮮な気分になりました。

ちゃんと歌うのじゃなく、
「フフフーン」という歌詞がないものや、
口笛もどきのほうがハードルが低く、すぐできます。
歌がヘタとか、音程がどうとか、
たぶん全然関係ありません。
だって、誰も聞いてないのですからね!
(聞いててもかまわないですが)

そして、どうしてこんなことで、
ちょっと気分がよくなるのかと考えてみたところ、
はなうたって、たぶん気分がいい時に
出ちゃうものなんだと思います。
それを形から入って、先に歌ってしまうと、
気分がいいほうに
引っ張っていってもらえるのかな、と思う次第。

昔好きだった歌でも、
ドラマの主題歌でもいいし、外国の歌でも。
(10代に大好きだった「太陽にほえろ!」の
テーマ曲なんかもよかったです!)
楽しい歌のほうがおすすめですが、せつない曲でも。
ほんの10秒くらいで、新しい空気、新しい気分が現れます。













第1回「さする」






「さする」という動作を、最近しましたか?
お子さんがいらっしゃる方は、
たくさんあるのかもしれませんね。
自分の体に対しては、どうでしょうか?
私は、全然していませんでした。

私が「さする」ということを大きく意識したのは、
ずっと以前に受けた「ゆる体操」のレッスンの中でした。
(「ゆる体操」については、
いろいろ本があるので、見てみてください)
10回程の講座で、
体をゆるめる、いろんな体操を習いました。

その中のひとつに、生徒同士がペアになって、
椅子に掛けた人の背中を、
丸く円を描くようにさする動作がありました。
「ゆる体操」では、口に出して言うのが特徴なので、
「気持ちよく、気持ちよく」
と口で言いながら、さするのですが、
これが衝撃的に気持ちがよくて、私は本当に驚きました。

知らない人に、ただ背中を
さすってもらっているだけなのに、
ふわーっと、ただただ気持ちがよく、やすらぐのです。
そして今思うと、何か
「肯定されている」ような感覚があったかもしれません。
やさしく包まれ、
認められているような、不思議な時間でした。



もうひとつ、最近「さする」を意識したのは、
友達に習っているヨガ教室の中です。
畳に座って、前に伸ばした足全体や、
膝周りをゆっくりさすった時、
やっぱりやさしく、あたたかな気持ちになりました。


またこの間、大掃除をした日、
寝る前にハンドクリームをつけ、
なんとはなしに、手をさすってみたら、
同じようにやすらぎが感じられ、
しばらくやってると、
ちょっと手がつるつるもしてきました。

それで、これから思い出した時は、自分に対して、
ほんの1分でもいいから、さすってみようと思いました。
肩や、膝、腰なんかも。
できれば、心の中で「ありがとう」と言いながら。

「もむ」のも、もちろんいいと思うのですが、
「さする」のやさしさは、
なんだか違うものだと思うのです。
それは、がんばった自分をやさしく包み込み、
肯定する動きなのでしょう。


もちろん家族の間でも、
「ごくろうさま」なんて言いながら、
ちょっと肩なんかさすってあげたら、
それは、何よりの時間になると思います。
お子さんに「よくやったね」と言いながら、
ほめる時なんかも。

人間の手って、とても嬉しい、
あたたかい動きができるものなんだと、
改めて感じたことでした。

 





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